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2021/11/11

インフルエンザの注射した

Tuta_20211111181001 ← 生け垣の土台に垂れる蔦。日々微妙に色合いを変えていく。(2021/11/09)

 今日(11日)は休み。寒いし雨が降っているし、何処かへ出掛ける気にはなれない。庭仕事もできない。幸か不幸か、30日に一度の内科医院への通院の日。大人しく病院へ。予約していたインフルエンザの注射もしてきた。悲しいかな、服用する薬が一つ増えた。

 6日(土)バイクツーリングしてきた三方五湖(年縞博物館)。呟き忘れてたが、当地は梅の里だった。梅園を何度も目にした。梅干しなど、梅絡みの特産品を売る店も並ぶ。梅の花が咲く頃は観光客で賑わいそう。

 昨夜来の風雨。一昨日 竹箒で庭 掃除したのに、松葉やら枯葉やらで杯盤狼藉(← 盛ってます)。余儀なく竹箒で表の庭だけ掃除。竹が地面を擦るザッザッという音が庭に響く。(2021/11/10 )

 

Suigetu_20211111182801 ← 中川 毅 (著)『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』 (岩波科学ライブラリー)「若狭湾岸の湖底から発見された土の縞模様が、過去5万年の時を測る「世界の標準時計」になった。20余年前に若い研究者が描いた夢は、どのように花開いたか」

 中川 毅 著の『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』を一昨日読了した。年縞博物館のショップで買い求めた。
水月湖の年縞|特集記事|福井県里山里海湖研究所」によると、「水月湖は、三方五湖の中でも一番大きな湖です。この湖の底には、7万年以上の歳月をかけて積み重なった「年縞(ねんこう)」と呼ばれる縞模様があります。水月湖の年縞は、いくつかの奇跡が重なってできた世界的に珍しい貴重なもので、考古学や地質学における年代測定の「世界標準ものさし」に採用されました」というもの。詳しくは同サイトを覗いてほしい。

 本書は、「時間を特定するためには深さ70メートルもの地層に刻まれた、1本1ミリの7万本の縞を数えなければならない。気が遠くなるようなその作業は二十数年間、日英独の科学者たちによって引き継がれながら続いた。本書は2012年にその成果を発表した本人による研究の記録」(「【書評倶楽部】『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』中川毅著 書評サイト「HONZ」代表・成毛眞(1/2ページ) - 産経ニュース」)。

 成果が世界に認められるまでのハラハラドキドキの物語。時に冒険ともいえる要となる研究者らの決断があって今日がある。駆け足だが年縞博物館や水月湖を眺めるツーリングを敢行して心底よかった。マスコミでこの年縞が話題になって以来の夢が叶った。読むのが楽しい。とにかくお勧め。

 

Jaket-2 ← 長年、庭仕事などの作業着として親しんできた某代行での制服(ジャケット)。ジッパーも破損し、破れもある。13年、よく付き合ってくれた。高かった(4500円)。それだけのことはある仕立てのいい服だった。ついに廃棄する。代わりの作業着を探さないといけない。父の遺品から、父が農作業の際に使っていた作業着が見つかった……が、サイズが合わない。やや太り気味の吾輩。瘦せ型の父。羽織ると、シッパーが…。仕方ないので、とりあえずは、雨具で代用した。(2021/11/08 )

 今日も微風の秋晴れ。2年ぶりの富山マラソンも天候に恵まれ開催された。我輩は、昨日とうってかわって庭仕事。枝葉の整理もだが、主に溝(どぶ)掃除。ゴミは少ない。やはり、底や壁面に苔や水草が蔓延っている。大概の葉っぱは堆肥にするが、さすがに溝の草はそのままポリ袋に。(2021/11/07 )

 

Smell_20211111184301 ← A・S.バーウィッチ著『においが心を動かす - ヒトは嗅覚の動物である』(大田直子訳 河出書房新社) 「西洋では香りに対して視覚より低いものとみなす歴史があった。19世紀科学の時代にも匂いの分野は注目されてこなかった。2004年ノーベル賞受賞に至る1991年リンダ・バックとリチャード・アクセルによる嗅覚受容体遺伝子の解明は、その後の嗅覚研究の急激な発展の契機となった。(中略)進化として視覚より古い知覚。今後も注目していきたい。」

 A・S.バーウィッチ著の『においが心を動かす - ヒトは嗅覚の動物である』を昨日(10日)読了。題名に惹かれ手にしたが、結構しんどい読書となった。プルーストの話など軽くいなされていた。
 内容案内に、「西洋では香りに対して視覚より低いものとみなす歴史があった。19世紀科学の時代にも匂いの分野は注目されてこなかった。2004年ノーベル賞受賞に至る1991年リンダ・バックとリチャード・アクセルによる嗅覚受容体遺伝子の解明は、その後の嗅覚研究の急激な発展の契機となった」とある。そうなのだが、「進化として視覚より古い知覚。今後も注目していきたい」とも。

 そう、嗅覚研究で分かってきたことも多々あるのだが、ますます掴み辛いという現実もひしひしと。従来の視覚を中心とする感覚の研究モデルがなかなか生きない。視覚についても錯覚があるし、脳が視覚を調整していることは知られているが、嗅覚はその比ではない。同じ匂いの素を嗅いでも、印象や先入観で全く違う匂いの評価に至ってしまう。

 どうやら匂いはすこぶる人間的なもののようだ。その人の価値観や感じ方、知識、時に思い込みに左右される…あるいはそうした融通無碍さを脳が許しているようなのだ。

 個人的な事情もあって、嗅覚には人一倍関心がある。けれど、正直、本書を読んで嗅覚への理解が深まったというより、一層混迷に嵌った。改めて確認すると、著者は、「認知科学者・哲学者。(中略)神経科学や感覚論における「嗅覚」の位置づけを研究している」方。そう、哲学の書の色彩が強い。専門家はともかく、そうでないなら、読解力に自信のある人向けかも。
 

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