福井県 再び
← 歌麿の当世三美人。 過日、春画の本を眺めていた……感想ではないが、江戸時代には、二重瞼の女性は居なかったのか。或いは一重こそが美人の証しだったのか。それとも、官能の絶頂……恍惚の表情だから眼も虚ろなのか。しかし、有名な歌麿の当世三美人を見ても目が細い。筆のひと刷毛のような。
シャワーを浴びたい。が、浴室も脱衣場も寒い。いま、暖め中。そもそも我が居間(茶の間)自体 寒い! そろそろエアコンの出番か。電気代が怖いなー。
9月から10月いっぱいウェイリー版源氏物語全4巻を読んだ……その余韻というか読書ロス(?)の感がなかなか。やはり、何か大物……大作にまたトライするか。
昨日のこと。買い物から帰宅。昨日からの風雨で落ち葉で庭が杯盤狼藉状態。竹箒で落ち葉をザッザッと掃き寄せる。風が吹けばまた同じことを繰り返す。気長にやるしかないね。
22日のこと、読書してたら……不意に思い出された……昨日 洗濯したはず……そうだ洗濯物 そのままだ! 一昼夜 洗濯槽で過ごした我が衣類、可哀想。
← 室生犀星作『蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ』(解説:久保 忠夫 講談社文芸文庫)「犀星の理想の“女ひと”の結晶・変幻自在の金魚と老作家の会話で構築する艶やかな超現実主義的小説「蜜のあわれ」。凄絶なガン闘病記「われはうたえどもやぶれかぶれ」、自己の終焉をみつめた遺作詩「老いたるえびのうた」等、(中略)生涯最高の活動期ともいうべき晩年の名作5篇を収録」
室生犀星作の『蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ』を一昨日読了。二階堂奥歯著の死に至る日記『八本脚の蝶』にて、犀星の「蜜のあわれ」なる作品を知った。奥歯が言及するくらいなら、並の作品であるわけがない。変幻自在の金魚という幻想小説。晩年の犀星が理想とする若い女性像を、老作家と金魚との会話で描き出す。老いた作家を痒い所に手が届く…至れり尽くせりの世話を生活を共にしつつ彼女…金魚がしてくれる。時に我が侭で自己主張も強い、現代っ娘らしい少女像。老いた男の夢。小説だからこそ好き放題に描ける。川端康成の『眠れる美女』などを折々脳裏に思い浮かべながら読んでいた。他にも(元?)AV女優の紗倉まな作「春、死なん」などもあるようで、いつかは読みたい。凄絶なガン闘病記の「われはうたえどもやぶれかぶれ」も傑作。オシッコが出ない病に苦しめられ翻弄される頑固偏屈な老作家の悪戦苦闘ぶりが、傍から見るものには哀れさを超えて滑稽ですらある。読むと苦しいが、結末は案外と明るい…。
← ヴァージニア・ウルフ作『フラッシュ ある犬の伝記』(岩崎雅之=訳 ルリユール叢書 幻戯書房)「19世紀の英国詩人エリザベス・バレット・ブラウニングの日常模様が、 愛犬フラッシュの目を通して語られる、ユーモア溢れる伝記小説」
ヴァージニア・ウルフ作の『フラッシュ ある犬の伝記』を昨夕読了。書店に立ち寄った際は、かならずウルフの本がないか、物色する。大概、在庫なし。が、その時はあった。まさか、である。どうやら本年四月に出たばかり。気付いていないとは迂闊だった。「19世紀の英国詩人エリザベス・バレット・ブラウニングの日常模様が、 愛犬フラッシュの目を通して語られる、ユーモア溢れる伝記小説」というものだが、ウルフが犬好きなのか微妙。そもそもある犬の伝記という題名なのだし。どう見ても愛犬からの視点ではない気がする。語り手を愛犬にすることで、バレットの生活の他人には窺い知れない細部まで描いても不自然ではないということだろうが、フラッシュがイヌっぽくない。訳者解題によると、「犬になりたい欲望を持った、犬好きではない作家」による犬の伝記。しかし、どう贔屓目に見ても、犬が描かれていない以前に、ウルフが犬になりたい欲望を持っているとも感じられない。それはそれとして虚心坦懐に読めば堅苦しくなく読める小説だと感じた。余談だが、この作品も含まれるルリユール叢書のラインアップがなかなか。
← 数日前より三度目となるジョゼフ・コンラッド作の『闇の奥』。読みながら、ふと、ケーテ・コルヴィッツの世界が浮かんできた。二人の世界が共通するってわけじゃないけどね。
偶然とは面白いもので、先々週、バイクでツーリングした先が福井県の若狭湾……三方五湖。帰郷してからバイクで県外に出たのは初めて。このことは、ここでもブログでも何度となく話題にした。すると昨日、仕事(車)で福井県福井市に行った。仕事では市外だって滅多に出ないのに。福井県への距離感は掴んだばかりなので、バイクに比べたら車だし、その仕事にも抵抗なく……むしろ喜んで行った。(2021/11/24 01:26)
多少 焦ったのはガス……燃料のこと。福井県へと出発したのは真夜中の1時頃。お客さんを乗せた時点で既に燃料は半分にならんとしている。風雨の高速道路をひた走る。着いたら、4分の1余り。足りるだろうか、高速道路上でガス欠になったりしないだろうか……
往路に不安はない。海沿いを走った際、横風が強く、ハンドルが取られそうになったりするくらい。
富山市の目的地(出発地)へあと80キロ余りというところで、いよいよ燃料はエンプティのEに近付いた。ガス欠に備え、いっそのこと下道に降りるか……いや、高速道路を走った方が燃費がいい……長く走れる……残り60キロ余りの地点で高速道路一本槍で帰ると決断。スピードを制限速度100キロのところも80キロ余りで走った。雨の寒風で暖房は25度の設定だったのを22度に下げた。
富山ICの遠いこと! いらいらする。でも我慢。自制してスピードは抑えて走り続けた。やがてついに富山ICが。翼よ あれがパリの灯だ、という心境。いよいよ下道へ。出来るだけ信号に引っ掛からないよう、走行スピードをコントロール。会社に無事 辿り着いた時の安堵感といったら!
何とか未明の5時頃 無事に帰還できたが、心配の種は尽きない。会社(営業所)から、日中 数キロ離れたガソリンスタンドに燃料給油に行かないとならない。今度はGSに無事に辿り着けるか、心配でならない。
ま、結果的に無事 恙無く済んだのだが、一時は高速道路上でJAFを呼ぶしかないかとさえ覚悟したのである。ま、開き直って、何処かのインターチェンジで降りて、夜を明かし、プロパンガスのステーションを探すことも考えないではなかった。
この記事を書いている最中、富山県の東部や西部や石川県などに竜巻注意報かたった今出た。福井県行きが今日でなくてよかった。余談だが、不安を掻き消すため、車中では演歌を歌っていた。村田英雄や美空ひばりなど。これは内緒である!
今回は、日本人ではないのか、片言しか言葉を聞くことがありませんでした。ただ、車中で携帯(スマホ?)で某外国語では流暢に話されていた。料金も出発地、つまり会社で事務員と交渉され、仕切り(貸切)に。しかも、安心の先渡し。ま、破格とは行かないけど3日分の売上に近い料金。目的地では、機嫌良く降りて行かれました。既婚者ただ、翌日の祭日も営業だったのですが、平日の半分でした。(11/24 10:01)
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