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2021/10/14

読書の秋!

Hihu_20211014210401 ← 傳田光洋/著『皮膚感覚と人間のこころ』(新潮選書)「外界と直接触れ合う皮膚は、環境の変化から生体を守るだけでなく、自己と他者を区別する重要な役割を担っている。人間のこころと身体に大きな影響を及ぼす皮膚は、その状態を自らモニターしながら独自の情報処理を行う。その精妙なシステムや、触覚・温度感覚のみならず、光や音にも反応している可能性など、皮膚をめぐる最新研究」

 今日14日は快晴。まさに秋晴れ。お出かけ日和だったが、生憎、庭や畑仕事に汗を流すことに。畑の果樹は伸び放題。実を実らす季節は終わったので、枝の伸びること。天に向かって何処までも。当然、葉っぱも。今のうちに枝葉を剪定して、落葉の季節に備える。汗だく。作業後のシャワーが気持ちいい。昨日、今日と読了が続いた。明日もウェイリー版源氏物語の第二巻の読了予定。読書の秋ってところか。

 傳田光洋著の『皮膚感覚と人間のこころ』を13日未明読了。『皮膚はすごい: 生き物たちの驚くべき進化』 (岩波科学ライブラリー)を読んで感銘を受け、早速二冊目に。
 内容案内に、「外界と直接触れ合う皮膚は、環境の変化から生体を守るだけでなく、自己と他者を区別する重要な役割を担っている。人間のこころと身体に大きな影響を及ぼす皮膚は、その状態を自らモニターしながら独自の情報処理を行う。その精妙なシステムや、触覚・温度感覚のみならず、光や音にも反応している可能性など、皮膚をめぐる最新研究」とある。
 前著を読んだ際、「我輩のサイエンス分野でのマイブームは、皮膚や表皮など。Alや脳科学、ロボットへの関心が高まっているが、人間とロボットとの最たる違いは、体表……皮膚……内臓の表層の感覚機能。人は全身で感じている。今後この方面への関心はますます高まるだろう」と書いた。ますますその感を強くしている。しばらく関連書を読むことになりそう。

 

08964_1 ← ケイレブ・エヴェレット著『数の発明 私たちは数をつくり、数につくられた』(屋代通子訳 みすず書房)「ピダハン族などの数を持たない人々の社会や、乳幼児と動物の量の認識、世界の言語に残る痕跡を通じて、数の発明という忘れられた人類史の転換点を探る書」

 

 ケイレブ・エヴェレット著の『数の発明 私たちは数をつくり、数につくられた』を、庭仕事を開始する直前の午後三時過ぎに読了。大半を仕事の合間の楽しみに読んできて、残りの20頁ほどを自宅で、というわけである。自分には馴染みじゃない分野。馴染みのある方には大半が既知の話だったかもしれない。

 

 著者は、「マイアミ大学人類学部教授、同学部長。専門は人類学・言語学。言語と非言語的な認知・文化・環境の相互作用に関心を持つ」とか。彼の「父は『ピダハン』の著者のダニエル・L・エヴェレット。幼少期に、宣教師の父とともにピダハン族の村で過ごした」という。その体験が研究のベースにあるようだ。内容案内には、「ピダハン族などの数を持たない人々の社会や、乳幼児と動物の量の認識、世界の言語に残る痕跡を通じて、数の発明という忘れられた人類史の転換点を探る書」とある。数とは何かの探求ではない。数観念の発生自体を探る。この方面の研究は相当分厚くなっているらしい。数を持たないとされる集団、あるいは幼児や動物であっても、1,2,3までの観念の萌芽はあるという。あるいはある程度まではだが、多いか少ないかの大づかみの感覚能力も、人に限らず(魚やサルなどにも)あるとか。語られざる非言語的な領野だけに研究の困難さを門外漢の吾輩にも痛感させられる。データの蓄積が長年続けられてきた。本書は既存の研究をベースにどのような成果を示せたのか。いずれにしろ、表題にあるように、数は発明品であるという主張はまさに明確だ。その余波は今も続いている。
 この(原書が書かれた時点で)20年間、多彩な専門領域の考古学者たちが、アフリカの最南端の海岸線に近いスティールバーイという村、海岸線にほど近い洞窟で発掘してきたという。何やら目を奪われる結果が現れているという。「黎明期のホモ・サピエンスの研究は、ホモ・サピエンスがアフリカから大移動を始める前の長い年月を、わたしたちの祖先がいかにして生き延び、ひいては生を謳歌していたのか、新たな光で浮き彫りにしてくれる。」とか。人骨などの遺物は乏しかった。が、祖先の暮らしについて、人骨より雄弁に語る遺跡が見つかったのだ。「わたしたちが今現代人のものと見做している行動のほとんどが、この海岸線の近辺で発生したようだ。」! 
 19万年前から13万5千年前にかけての気候変動が影響していた。アフリカ大陸から居住可能な場所が著しく削られた。そんな中、この辺りだけ、海産物や球根や塊茎などが豊富だった。人類はこの海岸線で暮らしている間に、ある種の技術の開花を迎えたのである。詳しくは書かないが、「かつてこの地に住んでいた太古の人々が、言語を持っていたことが窺われる」…当然、数の観念の萌芽もとなる。ただ、この点は類書を当たるほうがいい。考古学のホットスポットである。専門家はともかく、我輩には目新しい情報だった。

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