オーバードホールにもピアノ
← 曽我蕭白/著『曾我蕭白』 (狩野博幸編著 新潮日本美術文庫) 「好んで奇行に走り、奇言を吐き、「狂者」とみずからをよんだ江戸中期の異端の画家」
曽我蕭白著の『曾我蕭白』を仕事の合間に楽しんだ。「曾我蕭白(享保15年(1730年) - 天明元年1月7日(1781年))は、江戸時代中期の絵師。蛇足軒と自ら号した。高い水墨画の技術を誇る一方、観る者を驚かせる強烈な画風で奇想の絵師と評される。」好きな…というより畏怖すべき絵師。作品は芸術というより、蕭白の気迫溢れる世界そのもの。「寒山拾得図」ほか、驚嘆させる作品が多々。奇想というより、反骨であり、描きたいように描くという強靭な意志を感じる。禅宗の寺に合いそうだが、決して脱俗などはしていない。悟りなど、けっである。本書は冊子かのようなコンパクトな書だが、蕭白の世界を堪能するには十分。可能なら、複製でいいから何か水墨画が欲しいと思う。
← 佐倉 統著『科学とはなにか 新しい科学論、いま必要な三つの視点』(ブルーバックス)「科学を毛嫌いする反知性主義も、過度に信奉する権威的専門家主義も、真に科学的であることはできない。科学の意味を問い直す「新しい科学論」」
佐倉統(おさむ)著の『科学とはなにか 新しい科学論、いま必要な三つの視点』を読了した。仕事の合間に読むような本ではないが、極端に理屈っぽい本ではなかったので、車中に持ち込んだ。
「科学を毛嫌いする反知性主義も、過度に信奉する権威的専門家主義も、真に科学的であることはできない。日本の科学技術力はなぜ衰退しているのか?疑似科学信仰はなぜ拡大するのか?(中略)科学の意味を問い直す、「新しい科学論」」の本。
何処までも高度化し細分化する科学。卑近(?)な例でいえば、お医者さんだってほとんどの方は何かの科の専門医である。総合医と呼べる人はいるのかいないのか。何か体調に異変を覚えたとする。歯や眼ならそれぞれの科へ行けばいいのだろが、もっとつかみどころのない場合もある。大きな病院の受付で、何科を受診すればいいのか、それを自分で決める…その判断は正しいのだろうか。
科学技術の情報はネットを介して膨大に入手可能だ。だが、何を信用する? 誰か知り合い? メーカーの宣伝? 自分の判断? 放射能汚染、ウイルスの脅威、迫りつつある巨大地震、地球大気の温暖化、海洋汚染…。専門家に任せる?
政治家はどうか。新型コロナ禍でのぶりや医療福祉体制の貧弱ぶり。政治の怠慢は明らかだ。それは政治家の責任だろうが、国民の怠惰でもある。国民の厳しい監視や危機感がなければ、政治家は肝心なことは後回しにされるだけなのは、盛り土の法整備の遅れを見るだけでも歴然。
← 富山駅近くのオーバードホール内に小学生の絵画作品展示。どこかミロの作風を連想させる。右上は、別の作品。なぜ、一部とはいえ、重ねるんだろう。
日本で大企業の役員管理職の最終学歴は、大卒が大半で、修士以上は数パーセント。アメリカだと、修士以上が大半。つまり、専門技能を生かそうという発想自体が日本では薄い。生かすかどうか以前の実態がある。ドイツのメルケル政権では閣僚の三分の一以上が博士号取得者だった。日本では政治に限らず企業など、組織や運動のトップに占める女性の割合の低さは、日本は異常なほどだ。タリバンと似たり寄ったりだ。所詮は山の高さは地盤の広さに見合う。本書を読んでいて、専門家ではない我々素人が科学技術をどう活用するか、課題は多いし大きいと感じた。
← 富山駅近くのオーバードホール内のピアノ。やはりカラーリング。ピアノへの彩色、やはり、合わない。アートがとうこうじゃないんだよ。
中西 進 著の『源氏物語と白楽天』(岩波書店)をよんでいる。読むほどにレベルの高いことを思い知る。多分、大学の国文科……日本や中国などの古典は当たり前に読んできた方向き。その上で、源氏物語における白楽天の濃い影響を再認識し、源氏物語の世界の秀麗さをより看取したいひと向き。我輩、22年か23年前、どうして身の程知らずにも本書に手を出したものやら。兎に角 最後まで読む……上滑りする。
「源氏物語」への白楽天の影響という以上の意味がある。白楽天を知悉する平安貴族の素養を生かし、物語の構成を考え尽くし、物語の場面々々の奥行き……味わいを深めている。文章表現の卓抜さは、ウェイリー版では感じられない。物語の筋などは分かりやすいのだが。仕方ないか。日本の数々の作家による現代語訳ではどれほど翻訳されているのか。式部はつくづく天才と感じる。
← 「篁牛人(1901-1984)は、滲みを極力おさえ墨を描画紙に摺り込むように描く渇筆と弾力のある長く細い線描を駆使して、独自の水墨画を創出しました。 令和3年(2021)は篁牛人の生誕120年です。これを記念し、次々と渇筆作品を制作した昭和40年代(1965~)の作品約40点を紹介する特別展を開催いたします。」「1901年、富山県婦負郡桜谷村大字石坂村(現:富山県富山市石坂)に生まれる。 (中略) 1934年頃からパブロ・ピカソ、藤田嗣治、小杉放庵などの感化を受け、1940年頃より絵画に専念し始める。1947年頃から独自の渇筆技法で制作を行い、主題を東洋思想に求めた。 (中略) 牛人が晩年過ごした邸宅跡地には、牛人の作品を紹介する富山市篁牛人記念美術館が建つ。」富山には、棟方志功記念館がある。戦火を避けて、縁故があり富山へ。やはり、ふくよかで艶めかしい女性像が印象的。
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