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2021/09/02

表の畑の店仕舞い三日目

Zeno ← ズヴェーヴォ【作】『ゼーノの意識〈上〉』(堤 康徳【訳】岩波文庫)「医師の勧めで回想録を書き始めた主人公ゼーノ。嫉妬、虚栄心、背徳感、己を苛んだ感情をまざまざと蘇らせながらも、精神分析医のごとく自身の人生を淡々と語る。ジョイス『ユリシーズ』にもつらなる「意識の流れ」を精緻に描き出した、ズヴェーヴォ(1861-1928)の代表作」

  今日はコロナ禍で臨時の休み。夕方5時前から表の畑の店仕舞い作業、3回目。ようやく防草シートを剥がし終えた。雑草が深く繁っていて、終わったら精根尽き果てた。次回は剥がしたシートの処理。長年のうちに大半は腐りかけている。が、中には再利用できそうなものも。

 

 

 昔は我が家の田圃で、十数年前、人手にわたった土地。管理を名目に畑として活用してきた。畑は母が養ってきた。その母が体が不自由になり、畑仕事などを放棄した。

 我輩が帰郷した13年前からは我輩が細々と。トウモロコシ畑にしたり、スイカやカボチャ畑にしたり、コスモスの野にしたり。あと1回 片付け作業をしたら、我が家(我輩)の手を完全に離れる。

 ズヴェーヴォ作の『ゼーノの意識〈上〉』を一昨日、読み始め、昨日の出勤前に読了した。身勝手で我が侭な、生活には終われていない男の回想。少なくとも、上巻の250頁ほどまでは、やや退屈だった。直前にモーリアの傑作を読んだから、どうしても比較してしまう。さすがに上巻の終わり頃になって、男の身勝手が他人(妻や愛人など身内)を巻き込んできて、読み手としては息苦しくなり、作品の力なのか描かれる状況の切迫感なのか分からなくなった。
 ズヴェーヴォは、ある時期、英語の力を養おうと、英語教師のジョイスに個人授業を依頼。あのジョイスである。ここに二人の作家の交流が始まる。ジョイスは、ズヴェーヴォの本作を高く評価していたとか。
 本書の訳者あとがきによると、ジョイス『ユリシーズ』の主人公のレオポルド・ブルームは、ズヴェーヴォがモデルのひとりと言われているとか。

 

Katou ← 加藤陽子/著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)「膨大な犠牲と反省を残しながら、明治以来、四つの対外戦争を戦った日本。指導者、軍人、官僚、そして一般市民はそれぞれに国家の未来を思い、なお参戦やむなしの判断を下した。その論理を支えたものは何だったのか。鋭い質疑応答と縦横無尽に繰り出す史料が行き交う中高生への5日間の集中講義を通して、過去の戦争を現実の緊張感のなかで生き、考える日本近現代史。」

 

 加藤陽子著の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を昨日から読み始めた。仕事の合間の楽しみ。
 中・高生など若い人向けに(行った授業を基に)書いたとか。我輩にも理解できるかな。
 吾輩が加藤陽子氏(日本近代史)の存在を知ったのは、日本学術会議の新会員に任命拒否された候補6人のうちの1人としてだった。ある意味、現首相が同氏を認識させてくれたと言える。ありがとうね、スガ君。
 一昨夜半、NHKの深夜番組で、蒋介石の特集を観た。日本に侵略されている中、英米をいかに参戦させるか。ほぼ絶望的な状況に追い込まれていた時、日本は政策上の致命的な判断ミスを犯した。それは、日独伊の三国同盟。蒋介石には起死回生の道を開く結果に。歴史には埋もれている事実がいっぱい。

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