コンクリート面の補修に苦戦
← ヘルマン・ヘッセ 著 /フォルカー・ミヒェルス 編『庭仕事の愉しみ』(岡田朝雄 訳 草思社)「庭仕事は瞑想である。草花や樹木が教えてくれる生命の秘密。文豪ヘッセが庭仕事を通して学んだ「自然と人生」の叡知を詩とエッセイに綴る。自筆水彩画を多数挿入」
今日も、汗だくでやった。今日のメインは、生垣の土台のコンクリート部分のひび割れの補修。今日(8月2日)ホームセンターで買ってきたコンクリート用ボンドをひび割れ部に塗り込んだ。が、2、3本じゃ全く足りない。
コンクリートの段の部分から庭の土が零れ落ちる。その土に雑草が生えている。雑草を刈るんじゃなく、雑草を残して土の零れを防ぐという苦肉の策だが、こんな弥縫策じゃ、間に合わない。
ヘルマン・ヘッセ 著 の『庭仕事の愉しみ』を仕事の合間の楽しみに読んでいる。庭仕事は楽しみじゃなく、親の残した宝だし、週に一度ほどの頻度での運動だと思って頑張っている。
昨日(30日)付の地元紙で富山の某所でセアカゴケクモが見付かったと。船便で海外からか。久しぶり。
30日のこと、夏 真っ盛り。車でかけるCDをクラシックからサンバに変更。サンバ愛唱歌集。大好きな曲ばかり。我輩は東京在住時代の最後の数年は、某サンバチームのメンバーだった。8月末の浅草サンバカーニバルにもスタッフとして何回か参加させてもらった。帰郷と同時にチームを離れた。懐かしくてならない。
夢: 私は寒々とした部屋のこちら側隅にいる。手術を見守っている。向こう側奥には2台の手術台が縦に並んでる。奥左側の肢体は静かに横たわるだけ。奥右側の遺体(40代の婦人?)の頭が開放され脳が取り出されようとしている……脳の移植手術の真っ最中! それにしてはスタッフが異常に少ない。
何だってこんな夢を観た? あまりに我が脳味噌が情けないから交換願望がある? つい昨日読了したイアン・マキューアンの「恋するアダム」の印象が蟠っている? ロボット(アンドロイド)の頭脳には感情があり(法を厳守の)正義感が組み込まれている。愛する情より法を杓子定規に守るがゆえの悲劇……喜劇が小説の眼目ともなっている。
未明に新聞を取り込みに玄関に立ったら、何やら虫が磨りガラス戸(引き戸)でバタバタ 足掻いてる。観ると、源五郎みたいな虫。引き戸をゆっくり開けて虫を外へ追いやろうとしたが、虫は桟(さん)にしがみついて動かない。虫さん、ちょっとずれたら広い外だよ! が、新聞を取り込んでも、奴 じっとしてる。……さて
5時間後 トイレに立った際、磨りガラス戸を観たが奴の姿は見えない。何処へ消えた? 外へ?
それにしても、一昨日のバッタに源五郎(?)に、我が家には招かざる客が増えてる。隙間が多い?
バッタ たった今 茶の間の出窓で発見。窓を数センチ開け、指先でバッタをやんわり払い出した。
源五郎は、後日、玄関の外で遺骸を発見。どうやって出たのか。出るだけで力尽きたのか。
← ヴァージニア・ウルフ著『病むことについて【新装版】』(川本静子編訳 みすず書房)〈病気がいかにありふれたものであるか、病気のもたらす精神的変化がいかに大きいか、健康の光の衰えとともに姿をあらわす未発見の国々がいかに驚くばかりか、インフルエンザにちょっとかかっただけで、なんという魂の荒涼たる広がりと砂漠が目に映るか、熱が少し上がると、なんという絶壁や色鮮やかな花々の点在する芝地が見えてくるか、病気にかかると、私たちの内部でなんと古びた、がんこな樫の木々が根こそぎになるか、歯医者で歯を一本抜かれ、ひじ掛け椅子に座ったまま浮かび上がり、「口をゆすいで下さい――ゆすいで」という医者の言葉を、天国の床から身をかがめて迎えてくれる神の歓迎の言葉と取りちがえるとき、いかに私たちが死の淵に沈み、頭上にかぶさる水で息絶える思いをし、麻酔から覚めて天使やハープ奏者たちの面前にいるとばかり思いこんでいるか――こうしたことを考えるとき――しばしば考えざるをえないのだが――病気が、愛や戦いや嫉妬とともに、文学の主要テーマの一つにならないのは、たしかに奇妙なことに思われる。〉
(「病むことについて」)
たふたふ 耳毛カッターを買った。通販で入手。床屋さんで何度となくカットしてくれと頼んだが、叶わなかった左側耳毛の不快。けふで終わるのでせふか?
ヴァージニア・ウルフ著の『病むことについて【新装版】』を読み出している。書店で物色していたら、出版各社共同の企画なのか、【新装版】で再出版された本の並ぶ棚に遭遇。買いたくなる本が多数。実際に買える本は二冊だけ。悲しい。
「源氏物語」を読んでの感想が載っていた。際立つ知見は見出だせない。「源氏物語」は、当時のイギリスには(ウルフにとってもジョイスにとっても)新鮮な驚きだったのだろう。ウェイリー版を読んだらしい。全文 読んだか分からないが、ウルフやジョイス、プルーストにも「源氏物語」は影響を与えた。源氏物語は宮中を巡る話だが、プルーストの「失われた……」は、貴族やブルジョワらの話。モロ、シチュエーションが似ている……舞台を借りたのでは、とさえ思える。「失われた……」の句読点の少ない、息の長い文章は何処か「源氏物語」風だし、意識の流れ……なんて表現手法は源氏物語を素養とした背景がありそう。というか、時代や国を越えての直系が欧米文学作品として生まれたのかもしれない。
こんなことは、常識なのかな。
仕事は夕方から未明まで。日中はだから基本 睡眠時間帯となる。エアコン頼り。買い物に出るのがやっと。七月の読書はなんといっても、ピンチョンの『重力の虹』がメイン。理解したとか堪能したとは言いづらいが、読書体験として銘記されるだろう。セルバンテスの『ドン・キホーテ』も前月から。これも物語の世界の根幹はここにあると感じている。八月上旬には全六巻を読了かな(昨日の呟き):
「2021年7月の読書メーター」
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