河村たかし・名古屋市長の無神経
← 安田理央著『AV女優、のち』(角川新書) 「みひろ、笠木忍、麻美ゆま、愛奏、長谷川瞳、泉麻耶、真咲南朋―― <<時代を駆け抜けた7人のAV女優たち。彼女たちは当時なにを考え、現在どのように振り返るのか。そして、これからどこに向かおうとしているのか。元有名女優7人のライフヒストリー>>」 吾輩は麻美ゆましか知らなかった。
今日昼頃目覚めたら何だか明るい。朝方は相変わらず愚図ついた天気で薄暗かった。カーテンを開けると、さすがに真っ青な快晴とはいかないが、青空を白い薄い雲が一部を覆うだけ。帯状の低気圧がやや南下し、太平洋側に掛かっているらしい。雨だろうから、庭仕事はなしと思っていたが、これだとやるしかない。まるで吾輩の休日を狙っての晴れ間だ。
河村たかし・名古屋市長が東京オリンピック(五輪)ソフトボール選手の金メダルをかじった問題。女子選手は一見するとにこやかに笑んでおられたが、彼女の度量の大きさなのか。吾輩にははらわたの煮えくり返る思いをかみ殺した表情に感じた。セクハラやパワハラが蔓延するスポーツ界(だけではないが)にあって、女性アスリート(に限らないだろう)が大過なく生き延びるには、日本風(?)の曖昧な微笑みでやり過ごすしかない現実をひしひしと感じる。
女子選手ははっきりと不快感を表明すべきか。表明できるか。報道のカメラがあったから視聴者からの反応があって、問題が表面化した。が、密室だったら、強烈なハグだってあり得る。ハグを拒否できるだろうか。名古屋市長もだが、スポーツ界全体が反省し、もっと広く社会全体で未だに蔓延するハラスメントを討議すべきだろう。
安田理央著の『AV女優、のち』を昨日(14日)読了。ほとんどを仕事の合間に読んだ。著者は、アダルトテーマ全般を中心に執筆のライター。特にエロとデジタルメディアとの関りに注目しているとか。筆者の本を読むのは二冊目。一冊目の際、実は名前からして筆者は女性だと思い込んでいた。二冊目になる今回も同じ誤認。情けない。女性のAV女優という仕事に対する見方を知りたいと言う動機があったのだが。
本書に登場する7人の「元」AV女優は、全員00年代デビュー組。彼女らが活躍した時代は、AV業界が最もパワーを持っていた10年だったという。彼女らは口を揃えて、「AV女優になったことは後悔していない」と言っている。志願して成ったものもいれば(美しいか可愛い、スタイルが素晴らしいなどでないと単体でも女優にはなれない、だから一部の女性からは憧れられる)、半ば騙されてなった女優もいる。彼女らは言う、「現在の自分があるのは、あの頃があったからだ。AV女優であった過去もわたし自身の歴史なので、消したいとは思わない」と。
しかしそれは例外だとも著者は言う。ほとんどの「元AV女優」は、現在はその過去を封印して生活している。そうした方たちにはすべて取材は断られてしまったとか。ここにAV女優やAVの現実が如実に現れているのだろう。
上記したように、男性からは消耗品扱いであり、世間からは白い眼で見られる業界で在り女性たち。本書に登場する女優らにしても、いざ結婚や子供を持つという段階になって厳しい現実に苦渋している。ピンク映画から日活ロマンポルノ(仙台や東京在住時代は映画館に通った。普通の映画には興味が薄かった)、そしてアダルトビデオ(こちらは映画館では上映しない。あくまで個で、密室で)。そこには明らかにロマンやストーリーを絡めた世界から、一切の物語性を排除した、そのものズバリオンリーの世界へという流れがある。もうこの先はあるのだろうか。当局による規制や自主規制で、一層過激な世界は表立ってはないだろう。その分、地下に潜っていくのだろうか。規制の手の届かない世界では何が起こるのか。ひたすら殺伐たる光景があるだけなのだろう。貧富の差、欲望の肥大する現実。女性の弱者は食われる一方。男の弱者は妄想に逃げ込むのか。本書ではそんな問題には一切触れていないが、あれこれ考えさせられるのである。
← デビッド・クアメン 著『スピルオーバー ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』(甘糟 智子 訳 明石書店)「ウイルスたちはなぜ、いつ、どこで、いかに種を超え人間へと飛び移り、大惨事をもたらしてきたのか。異種間伝播(スピルオーバー)を通じて爆発的に広がった疫病の実態とそれに挑戦する人々の苦闘を、徹底した現地取材を通して辿る」
デビッド・クアメン 著の『スピルオーバー ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』を読み続けている。ようやく半ば過ぎ。大著。取材ぶりがさすがだ。専門家らのウイルスなどの宿主を探求する現場の大変さがひしひしと。
感染症。細菌性もあればウイルス性もある。つくづく人間が環境を破壊した負の影響の大きさを感じる。気象異常で感染症の襲来は頻繁になり激化する。なんとか300頁ほど。あと1週間ほどで読了かな。現下の戦いを乗り越えても、また何かの感染症が我々を見舞う、一層 厄介な奴が。
感染症の襲来は・蔓延は、その国の弱点を炙り出す。やるべきことを怠ってきた政治を直撃している。
グズ付く天気。終日の雨。時折 激しく。お陰でというべきか、昨日も今日もエアコン要らず。惰性で扇風機を回してるだけ。室内に居る限りは楽だが、仕事が待ってる。
仕事……コロナ禍の激化で待機時間が長い。昨春からのコロナ禍がこんなに長く続くとは。
「新型コロナの重症化を防ぐ薬として期待されるのが、軽症の患者向けの治療薬として初めて特例承認された「抗体カクテル療法」と呼ばれる治療薬」。症状が出て数日内に処方すると効果的。この治療薬でなくても、新型コロナは、初期にお医者さんが対処すれば怖くない病気だとか。今は症状が出ない間は保健所管理下(のはず)の自宅療養。その間に症状が悪化する。
過日、通販で耳毛カッターを買った。電池式。外国製。全く使えない。恐らく、作ったが全く売れず、在庫の山になったもの。二束三文で買って、通販で高値で売り飛ばした。やはり、電器店で買わないとダメだな。
使い物にならないので、昨夜(12日)、捨てた。
耳毛。床屋さんで二度 頼んだのですが、ダメ。仕方なく、ハサミを耳穴に突っ込んで(ハサミの先は、まるっこい)、切ろうとしますが、上手く行かない。耳穴が奥に押し込まれるだけ。切ってくれと頼む人もいない。
歌手・朝倉理恵が好きだな。テレビでは聴いたことないけど。
新型コロナをインフルエンザと同様の第5類に。厚労省も検討。 我輩は最初は懐疑的だったが、最近は大いに検討の余地ありと考えるように。デメリットもあるようだが、メリットも多い。最大のメリットは、症状が僅か(感染が判明した時点)でも、近くの開業医などで治療を受けられること。医療崩壊が現実のものとなりつつある現在、選択の余地はなくなってきたのではなかろうか。
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