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2021/08/30

畑の一部…店仕舞い

Genya ← ダフネ・デュ・モーリア作『原野の館』(務台夏子 訳 創元推理文庫)「
母が亡くなり、叔母の住むジャマイカ館に身を寄せることになったメアリー。だが、原野(ムーア)の只中に建つ館で見たのは、昔の面影もなくやつれ、怯える叔母と、その夫で荒くれ者の大男だった。寂れた館、夜に集まる不審な男たち、不気味な物音。ここで何が起きているのか?」

  東京都知事は、若者はワクチンを打ちたがらないと、散々文句 言ってた。そんなことは、若者にワクチンを打つ機会を十分に提供した上で、実際に打つ若者の数が少ない際に言うべきだったろう。そんな機会を提供しないで文句だけ言う都知事の不見識こそ指弾されてしかるべき。
 それを云うに事欠いて、接種会場に殺到する若者を観て、密ですね、だと。ふざけるんじゃない、お前の不見識のせいだろが。

 ダフネ・デュ・モーリア作の『原野の館』昨日(29日)朝読了。感想は書かない。冒頭の数頁読んだだけで原野の叙述に痺れた。一気読みしたいけど、叙述自体を楽しむべきと感じ、敢えて1週間を費やして読んだ。美は細部にあり。だからと云って物語性も存分に楽しめる。結末には異論がありえようが、主人公は若い女性なのだから、新たなチャレンジなのかもしれない。お薦め。
 吾輩は女性作家の本を読むのが好き。まして、主人公が女性ってのは好み。かなり決断力行動力のある、サスペンスものならではの設定。女性が読んだら痛快かも。学生時代以来、10年おきに……発作的に、女性作家の作品を固め読みする。が、この20年 遠ざかってる。久しぶりに試みるか。

 

 庭や畑仕事、疲れた。畑、徐々に縮小。今日は、昔は我が家の田圃で、今は人の手に渡った畑での作業。放置したら雑草の野となりそうな土地だけに、近所の方たちが少しずつ割り当てられて、土地の管理代わりに、畑として使ってきた。近年、誰も畑として使わない。あるいは、近々土地の所有者が何か用途があって、みんなに放棄を促しているのか。吾輩には話が来ない。帰郷した2008年から細々ながら、畑として野菜などを作ってきた。吾輩は、自前の畑さえ、果樹園に変貌している。畑はもうやらない。野菜を作っても貰ってくれる人もいない。十メートル四方の土地を畔など作り、周辺は防草シートを張ったりして、頑張ってきたのだが。端っこには柿の木が育っている。ついに長年、泥に塗れてきた土地と縁が切れる。そうそう、その土地の隅っこでは立派な柿の木がある。毎年、柿が生る。その柿の木も刈り倒さないといけないか。今日の二時間の作業では防草シートさえ剥がせなかった。中途半端。なのに、疲れ切った。今夜も本を片手に寝落ちしそう。

 

Kaju ← 昔は野菜の畑、今は果樹園に課した土地。果樹、アカン。栗ダメ、キウイダメ、梨ダメ、ネーブルとミカンは順調、柿また見てくるの忘れた。水遣りしないから? 暑すぎるから?

 

 28日、買い物から帰宅直後、雨の予感の漂う中、庭を見て回る。補修した箇所や一昨日 防早シートを張った畑など。と、目の前に大きなアゲハ。羽の裏には白い点。裏側も撮りたかったが、案外素早い動き。

 

「アフガニスタンから退避してきたのは、韓国の大使館や政府機関などで勤務していたアフガニスタン人とその家族およそ400人で、到着後、新型コロナウイルスの検査を受けて陰性の確認を待って、政府の用意した宿泊施設に移動するということです。 (中略) 韓国政府は「ともに働いた同僚たちへの道義的責任や、国際社会の一員としての責任などを勘案した」と説明していて、今後、長期の在留資格を認めることにしています」 翻って日本(自衛隊)は……。
 情けなくて意見する気にもなりません。難民も移民もダメ。国がダメというより、国民が無関心なことにあぐらをかいてますね。先進国だなんて、世界のどの国も見なしてない。悲しいです。
 アメリカや韓国に手取り足取り 指導してもらったほうが良かったね。(優柔不断な)キシ防衛大臣は、今からでも頭を下げて韓国に教育してもらったらいい。

Chance ← イーヴァル・エクランド 著『偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』(南條 郁子 訳 創元社)「ダランベール賞を受賞した極上の数学エッセイ。 科学はどこまで偶然と運命を明らかにしたか? くじ引き、量子力学、不完全性定理、金融オプションなど一件関係ないテーマ間を縦横に移り、透徹した視線で諸現象の本質を鮮やかにえぐり出す。欧米人の精神風土を基礎づけた散文物語「サガ」を起点にラブレーやゲーテなどの文章も随所に織り込んだエッセイ。」

 

 イーヴァル・エクランド 著の『偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』を一昨日(28日)読了。コロナ禍で仕事が暇になり、車中での読書が進んでしまった。悲しい現実。

 2006年に翻訳が刊行。2021年の夏、「書物復権」なる特設コーナーで発掘。原書は1991年。古い! エイズが世界的に蔓延し多くの人が怯えていた頃の本。偶然をテーマの本は各種あるが、本書は、「欧米人の精神風土を基礎づけた散文物語「サガ」を起点にラブレーやゲーテなどの文章も随所に織り込んだ」点にあろう。尤も、日本人にはややなじみが薄い。北欧神話(サガ)には古来より闘いの場面に立つことが多く、戦うか退くか、決断が迫られる。戦いの場では、矢が当たる危険もあるが、ギリギリ逸れることもある。王が命を長らえるか倒れるかで闘いの様相は激変する。それは偶然の悪戯と済ませるか否か。カオス、フラクタル、今や懐かしいバタフライ効果、ドミノ理論…。専門に通じる人には今更で物足りない記述だろうが、門外漢の吾輩には、仕事の合間に楽しむには十分だった。

 

 27日の呟き。昨日は庭仕事で汗びっしょり。やはり、夜は寝落ち。本を片手、眼鏡したまま、リクライニングで。肉体労働の後遺症(?)が長引くのが辛い。

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