ユリとカマキリとコロナと
← 今日は晴れ。休み。ということは庭仕事。生え放題の雑草むしり。枝葉も伸び放題。ふと、庭先の梅の木の幹にカマキリ。微動だにしない。頭がない?
昨日のブログ日記で、水村 美苗 著『増補 日本語が亡びるとき ─英語の世紀の中で』(ちくま文庫)の感想文を寄せた。追記したので、ここにメモっておく:
因みに題名の「日本語が亡びるとき」の「亡びる」は、著者が大好きで本書でも度々言及している、漱石の小説『三四郎』に由来する。作品の中で広田先生が日本は「滅びるね」と云う場面は実に印象的で予言的でもある。漱石は軽々しく言辞を弄んではいない。一字一句を考え尽くして選んでいる。ところで、著者は「亡びる」としているが、「滅びる」だったような気がする。面倒で確かめていない。
「あの日から始まっていた(3 バケツ)」をアップ。
← 松本清張/著『砂の器〔下〕』(新潮文庫)「新進芸術家として栄光の座につこうとする青年の暗い過去を追う刑事の艱難辛苦を描く本格的推理長編」
松本清張作の『砂の器〔下〕』を読了した。一昨日のブログ日記にも多少のことは書いた。
清張の「砂の器」は、如何にも清張らしい重厚な作品。彼の幅広い素養と該博な知識、社会問題への関心の深さが相俟って、読み応えのある作品になっている。娯楽作品と呼ぶのは抵抗があるが、文学作品と呼ぶのも難しい(とは清張も自覚していたか)。本作品は、なんといっても、ハンセン病への偏見が色濃く残っていた時代背景なしにリアリティは生まれない。病に侵された人は顔が歪んでいく。容貌魁偉な惨状は人に恐怖を呼び起こす。どんな病気にも世間の偏見や差別はありがちなのだろうが、ハンセン病は並外れて酷いものだった。国民の根強い偏見に国の政策も引きずられてしまったのは、とことん情けない。読み手(吾輩)を飽きさせない、頁を捲る手がもどかしくなる、一級のエンタテイメント作品である。
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