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2021/07/04

急遽ワクチン一回目の接種

Kyoki_20210704205501 ← ブルトン 『狂気の愛』(海老坂 武 訳 狂気の愛  光文社古典新訳文庫)「『狂気の愛』は、愛の囚われ人----愛に仕える者としての自己の全体を描いているだけでなく、文学観、芸術観、世界認識、行動の倫理の全体を呼び寄せ、再検討するテクストとなっている。」(解説より)

 

 蒜好き……じゃなく昼過ぎ、かかりつけの医院から電話。え? 今日は日曜日だよな。何事? 何とコロナワクチン接種でキャンセルが出たから打たないかと。異論のあろうはずがない。今日明日は休みだから、熱など副作用があっても、休める。我輩の第1回めの予定は今月末だったから、1ヶ月近く早く打てたわけだ。1回目だし、ワクチンは2回接種しても決して万全ではないが、ひと安心である。

 

 八日ぶりに入浴。垢すりしたくて。皮膚呼吸復活って感じ。


 一昨日、ブルトン 作の『狂気の愛』を読了した。愛にはアガペーの愛とエロースの愛があると(古代ギリシャに寄り添うと)言われることがある。アガペーは宗教的な愛、崇める愛、天上への崇高なる愛である。一方、エロースの愛は、地上的な愛、肉欲を含め、人間の愛、俗なる愛である。この紋切り型な対比を遊戯的に使えば、アンドレ・ブルトンは徹底してエロースの愛に偏したと感じる。純粋を極めんと、次々に相手を変える、妥協の余地のない姿勢だからこそのブルトン。仲間も愛人も去っていくことも厭わない。地上世界には人間の血肉の愛しか存在しない。血肉に変心や変貌は付きもの。だからといって聖性に訴えることで免罪してもらおうなんてブルトンには論外なのである。俗なる者には息苦しいかもしれない。だからこそのブルトン。

 

Gravity_20210704211101  ← トマス・ピンチョン 著『重力の虹 1』(越川芳明/佐伯泰樹/植野達郎/幡山秀明 訳 文学の冒険シリーズ 国書刊行会 1993)「キーンという音が大空をよぎる。V2ロケットの来襲だ。第2次世界大戦も末期のロンドン、アメリカ軍中尉タイローン・スロースロップは、ドイツ軍の猛爆撃もなんのその、ガールハントに余念がない。ところが、彼の行動をひそかに監視している者がいる。彼らの調査によれば、スロースロップが女とセックスした場所へ、後刻、必ずV2ロケットが落ちるというのだ。スロースロップの勃起とロケットの軌跡は果たして関連があるのか?(中略)舞台はロンドンからリヴィエラ、チューリヒ、さらに連合軍占領下のドイツへと移り、巨大な見えざる手に翻弄されるスロースロップのさすらいの旅が始まる。脱線に次ぐ脱線、錯綜する人間関係、時間と空間を越え展開する物語」

 

 トマス・ピンチョン 作の『重力の虹 1』を日曜昼過ぎ読了。二週間以上を費やした。古書店で発掘した本。依然として先の見えないコロナ禍だからこそ、こうした重い本に挑戦した。日に30頁ほどずつ毎日 読んできた。若い頃なら腕力というか体力で強引に読んでいっただろう。今はこの手の本は再読できないだろうから、慌てず焦らず うまずたゆまず読むのだ。今日から早速 下巻へ。

 20世紀の文学はメルヴィル『白鯨』ジョイス『フィネガンズ…』プルースト『失われた時…』マルケス『百年の孤独』などを意識しないわけにいかない。トルストイやドストエフスキー、フロベールらは前提として。文学は如何なる存在であるべきか。徹底して純粋なる世界を志向するか、個別の風俗的矛盾を露見させようとするか。それとも、現下の世界のあらゆる事象を意識し、文学は無論 哲学科学経済技術軍事文化など、あらゆる文献論考を踏まえ、取り込み、全体を無謀なまでに意識せんとするか。


 現実の世界は幾層もの不可視の構造や虚構や想像や妄想とが絡まり合っている。その世界の全貌を見渡す存在(政府か組織か天才か異常者か異星人か)が何処かに存在するに違いないという幻想は脅迫的なまでに沸き上がる。自覚的足らんとする者ほどにその幻想を強く抱いている。

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