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2021/07/19

今日はホームセンターへ

Kikagaku ← ピエルジョルジョ・オーディフレッディ 著『幾何学の偉大なものがたり』( 河合 成雄 訳  創元社)「数学に馴染みのない人にも理解しやすいように工夫された幾何学の入門書である。土地の測量という必要性からエジプトで生まれた測量幾何学から語りおこし、中世までの幾何学の歴史を丁寧に紐解いてゆく。ピタゴラスやユークリッドといった天才数学者の非凡な逸話や、絵画・音楽・建築物にひそむ図形のマジックは、数学が苦手な文系でも思わず引きこまれる面白さだ」

 今日は、久しぶりにホームセンターへ。高枝切鋏や固まる土、手袋、ネット付き帽子、シャワーヘッドなどを購入。

 ネット付き帽子は、庭仕事の際、顔に蚊などの襲来を防ぐため。シャワーヘッドは、シャワーの際の水の使用量を減らすため。が、接続部のサイズが合わず使えない。手袋は運転用。
 高枝切鋏だが、帰郷して13年で、早くも5本め。平均して3年……よくて4年。我輩の使い方が乱暴? 粗末には扱ってないつもりだが。

 ガソリン満タンに。ガソリン 高い!

 ピエルジョルジョ・オーディフレッディ 著の『幾何学の偉大なものがたり』を読み始めた。書店で発掘した本。この手の本に眼がない。
 夜半過ぎに「庭仕事の疲れが夜になって襲ってきた。本書の目次で寝落ち。今ごろ目覚めた。さあ、気分も新たに読み始めるよ」と呟いた。が、また寝入った。ダメだ。読み出して10分もしないうちに寝落ち。今ごろ目覚めた……今度こそ目覚めたんだよね?
 昨日が仕事の日なら、朝の5時前、つまり今は帰宅直後で、シャワーを浴びている頃合。へんな気分。いかに変則的な生活を送っているか……
 やはりまた寝落ちした。目覚めたら昼前。庭仕事の疲れの後遺症が長引くようになってる。

 

Keisan ← 森田 真生 (著)『計算する生命』(新潮社)「「人間が機械を模倣する」計算が加速し続ける現代にあっても、人は、記号を操って結果を生み出すだけの機械ではない。思考し、意味を考え、現実を新たに編み直し続ける「計算する生命」なのだ」「理系知と人文知のあいだ 福岡伸一

 森田 真生 著の『計算する生命』を読了した。同氏の本は、三冊目。ファンなのか? 
 あとがきで森田氏は、本書は連載や全国各地で開催してきたトークライブで少しずつ重ねてきた思考をまとめたものであるとした上で、「特に、大人のための数学教室「和から」の主催で、(中略)東京で開催してきた「『数学する身体』実践ゼミ」は、ユークリッドの『言論』や『幾何学』、フレーゲの『算術の基礎』など、本書に登場する数学史の古典を、あらためて「計算の歴史」に位置づけ、読み解いていく試みで、本書の核となる思考の多くの部分が]、このゼミのなかで生まれた」と述べている。
「探求は過去に遡っていく一方ではなかった。フレーゲによって切り開かれた、言語と規則についての原理的な考察は、やがて生命の世界へと奔出していく思考の流れの、豊かな源泉なのである。本書では、ヴィトゲンシュタインやブルックスらの探求に注目を寄せながら、言語から生命へと溢れ出していく思考の水脈を追った」とも述べている。この中にカントの『純粋理性批判』への読み込みなども含めないとならない。

 高校時代、中央公論社(当時)から『世界の名著〈58〉ラッセル,ウィトゲンシュタイン,ホワイトヘッド』 (1971年)が刊行され、このシリーズの本を出た番に片っ端から読んでいた。この中で、ラッセルや、フレーゲからペアノへの流れ、やがてはヴィトゲンシュタインに至った。高校生の吾輩にいきなりヴィトゲンシュタインの「論考」が突き刺さった。このシリーズでカントやプラトン、ベルグソンなどにも触れ、大学生になって、カントやアウグスティヌスらに遭遇した。高校時代にはショーペンハウアーやルソー、親鸞、三木清、九鬼周造らにも出会っている。(文学系、美術系の文献は言うまでもないが)。頭の中に百花斉放じゃないが、理解できようが不能だろうが、知の本流に吞み込まれていった。あれこれあっても、最後はヴィトゲンシュタインの「論考」であり、『哲学探究』〈1953年…吾輩の生まれた前年に出た〉であり、正直、その後の半世紀吾輩の知の歴史は止まったままである。だが、正直、本書を読んで、ヴィトゲンシュタインが『哲学探究』で問うた事柄にはまるで応えられていないのだと確認することになった。これはヴィトゲンシュタインの洞察の凄まじさを明かし立てるものであると同時に、世界の最先端の知がようやくヴィトゲンシュタインの問いに応えようとしているのだと感じた。無論、我輩もまるで答えられないでいる。

Russel-2 ← 『世界の名著〈58〉ラッセル,ウィトゲンシュタイン,ホワイトヘッド』 (1971年 中央公論社) 「現代哲学の可能性をきりひらいた論理実証主義・分析哲学・科学哲学の先駆的労作3篇を収録」書棚に今も鎮座している。再読する気力はもうない…。中央公論新社から新装版が出て久しい。

 

 横綱 白鵬と大関 照ノ富士との全勝どうしの一番を観た。気魄みなぎる一番だった。我が郷土の元大関 朝の山はこれからドンドン格付けが下がっていく。感じるのは大関だった時の朝の山の気迫のなさ。贔屓したいが、相撲への思いが感じられなかった。余程、気を引き締めないと再生はないだろう。

 今日は真昼間にホームセンターへ。いろいろ商品を物色したし、これでもう運動はしたことにして、庭仕事はパス。

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