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2021/07/11

羨ましい光景

Ame_20210711212801 ← 『20世紀アメリカ短篇選 上』(大津 栄一郎 編訳 岩波文庫)「オー・ヘンリー,ドライサー,ロンドン,フォークナー,スタインベックら,主として20世紀前半に活躍した作家達の秀作を収める。(中略)鮮かな人間描写で20世紀前半のアメリカ社会をも浮彫りにする短篇集」

 

 久しぶりに庭仕事。1週間前の休みの日は、ワクチン接種のキャンセルがあって病院へ。大事をとって庭仕事はパス。約2週間ぶりの庭は、雑草が蔓延って作業は汗だくに。一週間以上 間を空けて庭仕事をするのは滅多にない。雨季ということもあるが、上記のような異例の事情もあったりした。茶の間の窓からぐんぐん伸びる雑草の勢いにジリジリする思いがあった。
 緑の生命力の凄み。庭の緑は濃く深くなるばかり。毎年見る光景。一方で衰え行く我が身。今日は庭仕事に頑張ったけれど、いつまで続けられるやら。

 今朝(9日)未明 帰宅して玄関へ。すると玄関に張り付くように二匹の蝶々が。交尾の真っ最中? ドアをガラガラ開け始めても身動きしない。ふと、一昨日 庭先で見付けた毛虫を思い出した。あいつ、大人の蝶に変身した? 早速 励んでる? 我輩に見せびらかしてる? クソッ羨ましいぞ!

 

20世紀アメリカ短篇選 上』を一昨日読了した。古書店で発掘した本。20世紀の前半、戦争前の作家の作品が載っている。「20世紀前半のアメリカ社会をも浮彫りにする短篇集」とのことで、作品を一つ読むたびにメモって来た
 8作目は、F・スコット・フィツジェラルド「パット・ホビーとオーソン・ウェルズ」大家の肩の力の抜いた佳作。映画界の新旧交代の一齣。オーソン・ウェルズの登場でそれまで羽振りの良かった、が才能は時代遅れの連中が映画界を、スタジオを閉め出される。彼もその一人。映画界の隅っこで人の繋りだけで生きてきた奴の居場所はない。が、生きるためには何処かに誰かにしがみつかないといけない。
 9作目は、ウィリアム・フォークナー「ある裁判」。10作目は、アーネスト・ヘミングウェイ「なにかの終焉」。仲の良かった二人。が、ある日 突然 二人の中の何かが終わりを告げる……終わっていることに気付く。誰が悪い訳じゃない。ただ、終ってしまったのだ。11作目は、ジョン・スタインベック「人を率いる者」。集団を率いて馬車に乗り、ひたすら西部へ。やがて、海に至りその旅自体が目的のような旅が終わりを告げる。老人の全ては、生きた証しはそこで尽きた。西部で暮らす娘夫婦の元を訪ねる。年中行事だ。
 食卓での老人の話は輝いていた過去の懐古談。その繰り返し。娘は父親である老人のキモチハ分かる。娘の夫はもう飽き飽きしている。何度繰り返せば気が済むんだ?! それでも妻にたしなめられ我慢して聴く……ふり。が、老人が別室にいる時、夫の忍耐が限界に。妻や息子相手に もうあんな話は止めるんだ、もう時代は変わったんだ……。そこへ老人が。
 老人は聴いていたのだ。夫が本気じゃなかったと釈明しても後の祭り。老人はすっかり落ち込む……。最後の老人の述懐の場面が素晴らしい。なにゆえ西部へ、という話をしたのか、その真意が肝心なのだ。
 以後、アースキン・コールドウェル「スウェーデン人だらけの土地」ネルソン・オルグレン「スティックマンの笑い」が続く。

   

 9日の深夜ラジオは、ジョージ・ガーシュウィンの特集。久々。オシャレ。80年とか90年前の曲とは思えない。こういうのを洗練されてるって云うのかな。
 仕事が暇すぎて 一時間近く しっかり聴けてしまった。

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