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2021/05/03

我が家の庭は雑草と野草の野

Pink_20210503210401 ← 鈴木 義昭【著】『ピンク映画水滸伝―その誕生と興亡』(人間社文庫)「ピンク映画誕生から半世紀。(中略)革命の映画ではなく、映画の革命が始まった。ピンク映画という梁山泊に結集し、見果てぬ夢を追い求めた男たち、女たちの群像ルポルタージュ」

 今日は休み。快晴とはいかないが、雨は降っていない。外出自粛が求められているし、バイクの調子も悪いので、庭仕事に専念。二時間半みっちり働いた。草むしり、枝葉の整理などなど。強風や雨のあとは落ち葉が散りまくっている。それにしてもあれこれの野草があちこちに。我が家の庭は、雑草と野草の野だ。


 鈴木 義昭著の『ピンク映画水滸伝―その誕生と興亡』を一昨日読了した。仕事の合間の楽しみに読んできた。お世話になったピンク映画を少しは知りたいと…好奇心で手にした本。


「1961年の新東宝倒産が一つの転機となる。新東宝の経営を追われた大蔵貢が大蔵映画を設立する。1962年に協立映画製作、大蔵映画配給の『肉体の市場』が公開された。「成人指定」「独立プロ製作」「劇映画」という3つの要素を満たした最初の作品として、この『肉体の市場』がピンク映画第1号とされている」「鈴木義昭は1963年に日本のメジャー映画会社である東映が製作した『五番町夕霧楼』と日活の『にっぽん昆虫記』が"ピンク映画"第一号と論じている」ようだ。「一般の劇映画を経験した若松孝二などの監督やスタッフが、次々とピンク映画に参入してきた。特に若松は「若松プロ」を設立し、ピンク映画と言うよりは問題作と言われる作品を発表した。そして1965年にピンク映画の歴史上、最も大きなニュースがもたらされた。」とか(「ピンク映画 - Wikipedia」より)。吾輩がピンク映画を見始めたのは、70年代後半で、日活ロマンポルノと相前後して観ていた。日本映画界の内情など知るはずもなく、なんとなくピンク映画は隠微なのかなと思っていた程度の認識。学生時代は仙台の苦竹でピンク映画を、東京に越してからは、90年代に入ってから大森駅の裏町の古い映画館で。悲しいかな惜しいかな、若松孝二作品は(記憶する限り)観ていない。本書によると、ピンク映画のフィルムはかなり散逸しているとか。惜しいものだ。体の不都合もあって出来合いの映画はほとんど素通りしたが、この手の映画は足を運んだ。それだけ好きってことなのだろう。

 

 

Darkmatter ← 鈴木 洋一郎【著】『見えない宇宙の正体―ダークマターの謎に迫る』(ブルーバックス)「私たちが知っている原子や分子などの通常の物質は、宇宙に存在する全物質、エネルギーのわずか5%にしか過ぎません。残りの95%はよくわかっていないのです。全体の約68%を占めるのが、宇宙を加速膨張させるダークエネルギー、(中略)全体の約27%を占めるのがダークマターと呼ばれる未知の物質です。本書では、その未知の物質、ダークマターの正体について、これまでにわかってきたこと、今解明されつつあること、見つかりそうでなかなかその姿を見せてくれない実態を紹介します。」

 鈴木 洋一郎著の『見えない宇宙の正体―ダークマターの謎に迫る』を本夕読了した。

 上掲の内容は類書でも教えてくれている。本書の特色は、「ダークマターは、光で直接見ることができないため、なかなか正体がわかりません。研究者たちはその「見えない」ものをさまざまな手段で検出しようとしています。あることはわかっているのにつかめない、あらゆるアイディアを出しながらつかもうとする、そんな研究者たちのこれまでの研究から最先端の研究まで徹底解説します」という後半にある。著者の専門は宇宙素粒子物理学だが、スーパーカミオカンデ実験前代表者。XMASS実験前代表者といった経歴でも分かるように実験畑の蚊方。本書の末尾にはダークマターに迫る数々の検証手法が紹介されている。今にも迫れそうだが、あるいは姿が見えるのはまだまだ遠いかもしれない。
 ピンクからダークマターへ想像力やら妄想力やらが逞しくなった? 

 

  車中では、仕事の合間の楽しみに、和田 博文 編集の『石の文学館 ─鉱物の眠り、砂の思考』(:ちくま文庫)を読み続けている。和田博文編の掌編を含む短文集。書き手は一流揃い。  全くの余談だが、中に須賀敦子作の「舗石を敷いた道」がある。「舗石」は、「ほせき」と読む。が書き手乃至は訳者によっては、「しきいし」とか「ペイブメント」と振ってあることもある。「舗道」という言葉もある。補導ではない。鋪道や歩道とも違う。昔、「銀色の舗道」という歌があったような。何処か都会的というかお洒落な佇まいを感じる。いや、感じた。今となってはありふれてしまっているか。ただ、垢抜けた感覚を嗅ぎ取れるのは、年配ゆえの特権かもしれない。  こんな詰まらないことを呟いたのは、「舗石」を「ほせき」なんかじゃない、もっと洒落た読み方が出来ないかと思ったからだ。「しきいし」は「敷石」の読みでぴったりだ。ペイブメントはセンスが感じられるものの、英語の語感に頼りすぎてる。うーむ。アイデアが浮かばない。

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