「古事記」に親しむ…親しみたい
← ディーリア・オーエンズ著『ザリガニの鳴くところ』( 友廣 純訳 早川書房)「ノースカロライナ州の湿地で青年の遺体が見つかる。村の人びとは「湿地の少女」カイアに疑いの目を向ける。幼いころ家族に見捨てられてから、人々にさげすまれながらたった一人湿地で生き抜いてきたカイアは果たして犯人なのか」
今日は休み。仕事の勤務時間帯が変わって、庭仕事をするタイミングを見出すのが難しい。できるときにやるしかない。今朝五時前に帰宅し、寝たり起きたりを繰り返し、午後の四時前ようやく庭仕事をする元気が少し出てきた。思い切って実施。体を動かさないと。
といっても、タクシーの仕事でも案外と体は動かす。乗り降りだけでも、一乗務に数十回。普通のドライバーとは違う。洗車もなかなかの業務。でも足りないだろうし、庭も荒れがち。
夕方六時頃には終わりそうだったが、観音堂の周囲に雑草が目立つ。目に入ってしまった。やるしかない。帰郷して13年。庭仕事のついでに観音堂の草むしりはやってきた。冬は除雪も。誰も気付かない。誰一人労ってくれる人もいない。ま、観て観ぬふりはできないのでやるだけ。終わったら七時。さすがに黄昏である。
ディーリア・オーエンズ著『ザリガニの鳴くところ』を間もなく読み終えそう。ところで、本作品には随所にスパニッシュ・モスなる植物が登場する。別命なのか、サルオガセモドキ と呼ばれたりする。樹上から垂れ下がる灰緑色の植物で、昔懐かしい西部劇などには、強風に砂塵舞う荒野にコロコロ転がる光景が印象的に使われたりする。我輩は、95年の失業当時、せっせと小説を書いていた。題名はまさに「スパニッシュ・モス」である。原稿用紙換算で300枚を一篇として三編、都合900枚まで書いて頓挫した。今も書庫の奥に詰め込んだまま日の目を見ることはない。そのスパニッシュ・モスなる、日頃 接する機会の無さそうな名称に本書で再会して、神経が擽られるようなドキドキ感を覚えてしまう。
← ディーリア・オーエンズ作の「ザリガニの鳴くところ」を読了後、未明の4時前、呆気なく寝落ち。数時間で目覚め、快晴の朝、ゴミ出しのついでに庭を一回り。地味な花を咲かせている生け垣の木に気付く。歩いて通る人の目を惹くこともなさそう。
ディーリア・オーエンズ著の『ザリガニの鳴くところ』を昨日、読了した。素晴らしい作品。感想はあとで。悲劇的結末。主人公は地元の人達に忌避されてる。それでも、裁判は立派な弁護士も付いたし、正当にされている。ふと、主人公が黒人や東洋人だったらどういう展開かなと思った。裁判に至ることすらなかった?
本作品を読み終えた。本作の理解には全く資することはないのだが、人間の常識で判断する善悪は、自然は人間に頓着することなく、その摂理を貫く。ショーペンハウエルの主著である「意志と表象としての世界」をチラッとだが思い浮かべてしまった。天才哲学者の彼が描き示すのは、俗に「生への盲目的意志」と評される。それは善悪の彼岸の世界。「意志と表象……」は、通算で5回 読んだ。我が魂の書。人に読むことを勧める気など毛頭ない。善悪を野蛮で非情な意志でバリバリ骨噛みしないといけない。選び敢えて読むのは本人の意志に依らねばならない。ま、この素晴らしい作品とは所詮 無縁な話だ。
← 津曲 茂久【著】『性のトリセツ―「性活力」あふれる生き方のすすめ』(緑書房)「獣医繁殖学者が科学と想像力で読み解く人と動物の性の真実と不思議。老いも若きも呼び覚ませ!人間本来の「性活力」。」
過日より、津曲 茂久著の『性のトリセツ―「性活力」あふれる生き方のすすめ』を読み出している。日本は学校現場での性教育が遅れてるとか。我輩も学校で教わった記憶がない(あっても忘れたかも)。性教育の体制が整わないと、性犯罪に見舞われる危険性も高まる。著者は獣医学畑の方。本書は特に教育者に(も)参考になりそう。話の掴みになりそうなコネタが豊富。
(頂いたコメントへのレス)無意識……無自覚な自制は日本人だけの性癖なのでしょうか。外出時に、機内やバス電車内でマスクをしたくないと言い張る奴は冷たい目線で蔑まれる。天皇制への批判や率直な考えの表明は断固秘匿し事勿れな尊敬の振りの微笑に紛らす。性的振舞い……行動律はお上の不可視の定めに従うべし。映倫は我々の日常の自制を手懐ける。思考停止 アポケー ……自宅でさえ親は子に神の……お上の見えざる手を期待してる。政治も性事もお上の見えざる手に委ねて久しいのですね。
家庭において(親と子の間で)職場において仲間内で性のことも政治も天皇制……天皇家のゴタゴタについて語れない日本。何から何までタブーにしてしまった。じゃ誰が考える? 天皇家のゴタゴタに乗じて訳の分からぬ連中が好き放題にするんだろうな。政治(政権)もここまで劣化すると、呆気に取られるが、そのトバっちりは我々が……特に若い人達が蒙る。どんな惨状も原因があっての現状。思考停止はあかん。
真夜中過ぎ、仕事が暇だったので、スマホで、「[社説]ハンセン病判決20年 差別許さぬ決意 今一度」なる記事を読んでいた。人種差別とかは分からないが、容貌魁偉への偏見、恐怖、嫌悪感は差別以前のものかな。つくづく感じる。
若い人達……政権の中枢のあの連中をしっかり見てね。奴等にまともな判断できるわけないよね。若い人達……もっと危機感持たないと。年輩連中は消えていく……塵芥の荒野を残して……辛酸を嘗めるのは、いま若い人達だよ。
← 福永 武彦 訳『現代語訳 古事記』(河出文庫)「名訳としても名高く、もっとも分かりやすい現代語訳として親しまれてきた名著をさらに読みやすい形で文庫化した決定版」
福永 武彦 訳の『現代語訳 古事記』を今朝、読了した。ほとんど仕事の合間の楽しみに読んできた。福永版古事記。明解を旨としている。「今昔物語」は面白く読めた。が、古事記については、やや疑問符。試みはそれなりに達成していたか。古代朝鮮語で詠み解こうとする試みさえある中で、そもそも古事記は我々が理解しきれるものなのか。現代語訳 古事記は、これまで各種 読んできた。日本人なら原文でと思うが、これは無謀というもの。せめて、本居宣長訳で……と思うが、これもハードルが高い、高過ぎる。それでもこれからもどんな形であろうと触れていく。
現代語訳や注釈付き本は、2005年に、三浦佑之氏による現代語訳『口語訳 古事記』(文藝春秋社刊)を読んだ。さらに、2003年に次田真幸全訳注による『古事記 上中下』(講談社学術文庫刊)を読んだし、その2年ほど前にも、倉野憲司氏校注による『古事記』(岩波文庫)を読んだ。古事記関連本は、三浦佑之著『古事記の神々 付古事記神名辞典』(角川ソフィア文庫)や三浦 佑之 著『古事記を読みなおす』 (ちくま新書)、三浦 佑之著『古事記講義』(文藝春秋刊)、さらには神野志 隆光著の『本居宣長『古事記伝』を読む〈1〉』(講談社選書メチエ)など数知れず。「三浦佑之『口語訳 古事記』」や「三浦 佑之著『古事記講義』」など参照。
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