ビルマ? ミャンマー?
← イタロ カルヴィーノ (著) 『くもの巣の小道―パルチザンあるいは落伍者たちをめぐる寓話』 (米川 良夫 (翻訳) 福武文庫) 「少年が加わったパルチザン部隊は、愛すべき“落ちこぼれ”たちのふきだまりだった。奇想天外なネオ・レアリズム小説の傑作」
一昨日から口内炎。固いものが食べられない。麺類はなんとか。昼食は、麻婆豆腐。夕食はどうする? カップ麺か。…と夕方、呟いたが、日清のチキンラーメンを食べた。昆布とワカメ、チャーシューを浮かべて。
シャワーついでに風呂場の排水口を綺麗に。蓋を外して手で髪の毛などを取る。黴菌うようよかな。気色悪い。
昨日は父の月命日。住職と二人で御経。住職、ミャンマーでの軍による市民への弾圧に心を傷め、「ビルマの不服従の抵抗運動に仏教徒として連帯しましょう」と署名活動を始めたとか。…それにしても、なぜ、ビルマなのか。ミャンマーじゃないのか。
上の呟きに、祥月命日ですよね、というコメントが。
「祥月命日というのは一周忌以降、故人が亡くなった月の命日。 月命日は故人がお亡くなりになった日のみを指す命日。」で、月命日です。基本、毎月です。呼ばなくても来ます。その日は、勝手に家に上がってきます。毎月。たまたま、住職が年齢で病みがちで、来ない月が重なっていただけ。
志賀直哉の「小僧の神様」。我輩はずっと「小説の神様」と思い込んでた。だって志賀直哉なんだもの。ホーソーンの「緋文字」も、ずっと「緋文学」って思い込んでた。気付いたのは、どちらも30代になって読もうと手にした時。
← 車道沿いの生垣にタンポポ発見。まもなく風に飛ばされるのかな。 春の日やたんぽぽの髪温めてる
午後四時前から庭仕事。今日は休み。快晴無風でお出かけ日和なのだが、仕事からの帰宅は未明の五時。就寝したのは六時過ぎ。日中は寝たり起きたりの繰り返しで外出の意欲が湧かない。運動のための庭仕事。といっても、やることが多すぎて これまたやる気にならん。とはいっても、やるしかない。例によって納屋に溜まっている伐採した枝葉の整理。葉っぱはバケツに溜めて庭に撒く。小枝などはポリ袋に収めて燃えるゴミへ。太い枝や幹は納屋に溜めて乾燥させておく。いつか、薪ストーブの燃料にするため……実現できるか分からないけど。
てふてふが我が家の庭にも舞っている。ましろな二匹。写真はない。 午後 庭仕事したけど、てふてふはとふとふ出合わなかった。
瀬田 勝哉 著『戦争が巨木を伐った 新刊 太平洋戦争と供木運動・木造船』( 平凡社選書 236)を読み続けている。
一方、イタロ カルヴィーノ 作の『くもの巣の小道―パルチザンあるいは落伍者たちをめぐる寓話』をも読み続けていて、今朝読了した。
奇しくも1943年(戦時下)当時を扱う本を並行して読んでいたことになる。『くもの巣の小道』は古書店で発掘(?)した。レジスタンスに生き闘い倒れた群像を少年の目線で描くが、そこはイタロ カルヴィーノだ、ひと味もふた味も違う。
レジスタンスについては映画でも英雄として描かれる。が、現実の戦争は今生きている我々と同じ社会に生きるような、いろんな人々が巻き込まれる。大人や子供、男と女、健常者に障碍者、真っ正直な奴にずるい奴、日常が戦闘状態になる。地を這うような視点で高邁と低劣とを描いていく。長編ではないはずなのに、読み応えたっぷりの小説だった。
片や『戦争が巨木を伐った 新刊 太平洋戦争と供木運動・木造船』は戦時下で早くも敗色濃厚となり(当事者らは認めない)、戦力が劣化するなか木造船を造るため、樹齢数百年の貴重な樹木を民間が軍部へ供出する実態を調査した記録。
両書を読んでいて、レジスタンスの国柄と、内心はどうであれ、面従競争するばかりだった我が国柄との、彼我の違いに暗澹たる思いを募らせつつ読むはめになる。武器を手に軍国主義者と戦う発想は我が人民には寸毫もなかったんだね。声すら上げなかった。現代だって、ミャンマーでの悲惨を観ても他人事の国柄(若者も!)。仕方ないか。本書はまだ百頁余り読んだだけだが、先祖伝来の貴重な巨樹を挙って供出する事実があったにも関わらず、当時の記録(記憶)が町史などからスッポリ抜け落ちている実態が多いことに呆気に取られる。都合の悪いことは、戦争が終わったら、さっさと忘れる。
声すら上げない国民性。苛められている人を観ても気付かないふりして行き過ぎる。右傾化してる……。もうこの動きは止まらない?
巨木の供出運動は、民間の間で広まったものだが、その中心は言うまでもなく大政翼賛会。どんな面々だったのか。我々の祖父さん世代か。レジスタンスの国とはエライ違いだな。
← 斎藤 幸平著『人新世の「資本論」』(集英社新書)「人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。」
斎藤 幸平著の『人新世の「資本論」』を一昨日、読了。関連書として、白井聡著の『武器としての「資本論」』( 東洋経済)を昨年読んでいる。
まず、門外漢の吾輩が気になったのは、「人新世」なるワードである。著者によると、「人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、この一月に惜しくも亡くなったノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世」」と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である」という。
著者によれば、現行の資本主義を放置すれば、それは気候変動をも放置することになる。「それを阻止するには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠ってい」るというのが、著者の主張。マルクスの『資本論』は、全三巻。が、実はマルクスが書いたのは第一巻だけ。残りはエンゲルスが書き上げた。悲しいかな、そこには後期のマルクスの辿り着いた着眼点が盛り込まれなかった。本書では、一五〇年ほど眠っていたマルクスのまったく新しい面を「発掘」し、展開してみせている。
なかなか刺激的な、警世の書と言っていいのではなかろうか。
参考: 「人新世 - Wikipedia」
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