アリス・マンロー「顔(face)」と安部公房「他人の顔」と
← アリス・マンロー/著『小説のように』(小竹由美子/訳 新潮クレスト・ブックス)「ロシア史上初の女性数学者をモデルにした意欲作「あまりに幸せ」など、人生の苦さ、切なさを鮮やかに描いて、長篇を凌ぐ読後感をもたらす珠玉の十篇」
昨夜は明け方まで暴風が吹き荒れた。折れたり根本から倒れていた植え木につっかえ棒したが、あの風で遣り直しかもしれない。風は止んだが、明け方には雨に。それでも午前中は暖かだった。が、午後になって一気に気温低下。3時前に外を眺めたら霙に。天気予報は当たったよ。
仕事。業務の時間体系を変更するか、考えている。タクシー乗務員となって、ずっと複勤でやってきた。それを単勤に変えるかどうか。それも、夜中の。出勤の回数を減らしたい。月に25回も通勤するのは、その準備や洗車も含め面倒。複勤ならせいぜい12か14回である。夜の勤務はどうなのだろう。
午前、茶の間で居眠りしていたら、突如、電話が。未登録の番号。普通ならしかとするところだが、出てみたら、親戚からだった。娘さんの卒業式が駅前で。その間、車を庭に置かせてくれないか…今もう車で来ている…。駐車場など駅の周辺にいくらでもある。平日だからなおさら。恐らくは吾輩への挨拶もあるのだろう。
実は昨夜も電話してきたようだが、吾輩は気付かなかった。LINE電話で、表示されない設定になっていたので、気づかなかったのだ。気づいていたら、あれこれ対応も考えられたかもしれない。
気軽にいいよと答えた。が、電話を切ってから後悔した。その車で会場まで送ってやればよかった。今日は雨なのだ。雨の中を歩いて、それとも電車で、タクシーで? ホントに迂闊な、機転の利かない奴だとガックリ。
おカネを下してきて卒業(と近いうちの入学祝を兼ねて)祝儀を用意した。
午後になり雨が霙に変わった。迎えに行ってやりたい気持ちばかりが高まる。帰って来て、挨拶を改めて。せっかくなので、写真を撮った。記念の写真だ。娘さんは看護師を目指すとか。コロナ禍にあって医療関係者は大変な苦労をされている。そんな中、看護師を目指すとは、尊敬以外の何物でもない。
湯澤 規子 著の『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか ─人糞地理学ことはじめ』(ちくま新書)が読書メーターに紹介されていた。この手の本は好きなので、読みたい本に登録した。
関連して思い出すことがあった:ガキの頃には、庭先に肥溜めがあった。親が肥担桶に一杯にして、天秤棒で担いで、畑に柄杓で撒いていた。当時、肥溜めに落ちたって話を何度も聞いた。よくあることだったらしい。自転車で突っ込んだ奴も。だって、道路脇が普通だもんね。
今、ふと疑問が。家のトイレは、ポットン式で、当然 トイレの直下にウンチクされている。一方、肥溜めは、庭先……というか通り沿いに。いちいちトイレの直下から肥溜めまで運んでいた? あるいは、肥溜めで用を足した?
ちなみに庭先の肥溜めは吾輩が小学校を卒業する頃には埋め立てられ、そこは生垣になっている。
過日よりアリス・マンロー作の『小説のように』を読み続けている。
本書は、短編集。中に、「顔(face)」という題名の作品がある。まだ、冒頭の2頁も読んでない……というかその時点で読む手が止まった。語り手は異常児として生まれた。産まれた時、顔の半分が、父親の驚きの表現を借りると、「まるで厚切りのレバーじゃないか」。育つにつれ紫から、グレープジュースを掛けられたような色合いに幾分は薄まるが、観る人を驚かせることに変わりはない。さて、2頁に至ることなく読む手が止まったのには、訳がある。
学生時代の最初の2年間、下宿生だった。ある日、近所の八百屋へ買い物へ。数人の奥様方が。その中にひときわ若さと晴れやかさで目立つ女性がいた。店で見掛けた瞬間、その女性の横顔の美しさ肌の白さに痺れた。不思議なことに彼女は頬被りをしていた。綺麗な顔なのに、隠すなんて勿体ない。
我輩は、横顔だけじゃ惜しくて、棚の商品を物色するふりをして、もう片方の横顔を観た……ほんの一瞬……体に電光が走った……虫唾に近い……おぞましさの感覚……恐怖感とすら呼べるような何かが我輩の目を顔を背けさせた。彼女の月の裏側の半面は、瘤だらけだったのだ。団子のような瘤が幾つもあって、半面の美しさとは雲泥の差。差なんてものじゃない。
滅多に驚きの声など発するものではないが、我輩は辛うじて驚声を堪えた。周りにいた妙齢の奥様方からの、声など発することは許さないという、強烈な視線をヒシヒシと感じた。我輩は、買い物を済ませたかどうかすら、今では覚えていない。あの素晴らしすぎる女性は、主婦らしい恰好をしていた。人妻だったのか、年齢相応の姿形を装っていたのか。
我輩自身 顔には強烈なコンプレックスを抱いてきた。人のことは言えない。驚きの声を自制するのも、彼女の気持ちの一端くらいは分かるからかもしれない。男女の面貌への拘りの違いはあるに違いないが。
後日、本の数年も経ないある日、安部公房の「他人の顔」を読んだ(大学の英文学の授業で同じく公房の『第四間氷期』英訳版の講義を受けていたこともあり、公房の作品を幾つか読んだ)。最後の頁まで読んでの我輩の感想は、ただ、ああこいつ逃げてるな、だった。ほんとならここから物語は始めないとならないはずなのだ。頭でっかちの作家の通弊を感じたものだ。
さて、アリス・マンローの本作はどうだろう。冒頭にいきなり肝心の点を持ち出しているのは評価できるが。
以上は、今朝未明の読書メーターでのメモ。
ひと眠りしてから、「顔(face)」を最後まで読んだ。さすがにマンローは小説の手練れで、コンプレックスを抱えていても、その感じ方生き方は、周囲の人たちの思いも含め多彩なのだということくらいは描いてくれる。その点、公房は実験的過ぎ、焦点を絞り過ぎなのだ。自らの問題として担っていないからなのだろう。
と云いつつ、小生は『他人の顔』は学生時代以来、再読していない。今読んだら(今となっては印象に近い)感想も変わるだろうか。
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