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2021/03/07

サバイバルは続く

Botan_20210307200701 ← 寒空の中、庭の片隅で健気に。

 

 さすがにあの日に近付いて……しかも十周年でもあり、東日本大震災……福島原発事故関連の特集番組が目立つ。震災の凄まじさもだが、原発事故が何層倍もの深甚さを印象付けた。一方、復興五輪の謳い文句は、いつしか新型コロナ克服に変わってきた? こちらなら克服出来るとでも? 原発事故との闘いの行く先は見えなくなってきたから? 何があっても花は咲く。生き抜く。克服なんてことじゃなく、生き続けるしかないんだもの。

 北陸にもバイクシーズン来る(とっくに来てるぞ!という声も)! バイク屋に行く前に洗車しようと、コンクリート面に移動させようとしたら、プスップスッ……。エンスト。いや、バッテリー上がりだ。どうする? バイク屋は休み。ふと、困った時のジャフはどうか。バイクは扱う? 呼んだらすぐ来てくれた。そうか、車だけじゃなくバイクもやるのね。
 ただ、今時のバイクは、アイドリングをやっても、バッテリーの充電にはならないのだとか。そうだったのか…。
 エンジンが掛からず、焦ってバイクを倒してしまった。恐らく初めて。右側のブレーキレバーが折れてしまった。アロンアルファでの接着を試みたがダメ。

 

 寒風の中、自転車で1か月ぶりに古書店へ。。富山は、木の芽はまだまだ固い。我が家でも、咲いているのは、山茶花や椿くらい。巣籠もりしちゃう。
 単行本や新書 文庫 合わせて13冊。ま、心の一ヶ月ぶんのエネルギー源。六千円余り。新刊だと、軽く二万円かな。安い? とも言えるが、新刊も買いたい。新刊が売り飛ばされたら、予め当方が求める本の情報を店に伝えておき、入荷したらすぐに情報が入る…なんてシステムがあるといいな。

 タクシー乗務の勤務体系が切り替わる。いよいよ明日から、新体系の初日。夕方から勤務し、明け方の四時まで。ずっと夜なので、読書は車内灯の弱々しい明りだけが頼り。ま、そんなことより、とにかく新しい生活パターンに慣れることが先決かな。夜だが日勤。普通の人間らしい生活が始まるわけである。

 

Shotou2-2_20210307201301  ← I.ヴェリコフスキー:著『衝突する宇宙』(鈴木 敬信:訳  法政大学出版局)「紀元前15世紀、彗星が地球に大接近して太陽は停止し、海水は山と盛り上がった。さらに前8世紀には、彗星に軌道を乱された火星の接近により、さらなる宇宙大災変が起こる。旧約聖書をはじめとする、世界各地に伝わる神話・伝説・古記録などを渉猟してその事実(!?)を大胆に論証し、欧米に大論争を巻き起こした問題の書。」著者は、「1895年ロシアに生まれる。イギリスに渡ってエディンバラで自然科学を学んだ後ロシアに帰り、法律・経済・歴史を学び、雑誌Scripta Universitatisを創刊(これは世界のユダヤ人学者をまとめるのに大いに役立ち、エルサレム大学創立のきっかけとなった)。その後、パレスチナで医者を開業し、チューリッヒとウィーンで精神分析学を研究。1938年アメリカに渡り『衝突する宇宙』、『混沌時代』など、古代史に関する未解決の問題に取り組む。1979年没。」

  ヴェリコフスキー著の『衝突する宇宙』を読了した。あまりの飛んでるぶりに我慢ならず、とうとう最後の百頁余りはすっ飛ばしてしまった。
 かねてより、題名だけは仄聞していた。が、手にする…目にする機会に恵まれないまま、歳月ばかりが経ってしまった。古書店で本書を目にしたときは、おおついに、という思いだった。吾輩は、衝突する宇宙という題名から、際限のない宇宙の彼方での銀河か何か同士の衝突を記述しているのかと思い込んでいた。とんでもない勘違いだった。
 本書についての感想は、随時、メモしてきた
 著者によると、「ひと連なりの宇宙災変が、今から三四世紀と二六世紀以前の歴史時代に、二回も起こって、(中略)平和の代わりに戦いが、太陽系を支配していたことを、示そうと努力した」のである。つまり紀元前1500年前と700年前に、何らかの太陽系レベルの異常が発生し、天変地異が起きた。その記録は世界各地に残っており、旧約聖書の記述もその一つなのだという。「われわれは、惑星が現在の軌道上を動いているのは、たった数千年にしかならない、と主張する」のである。「金星は以前は彗星だったが、人類の記憶がはじまってから、惑星の家族に加わった」などなどと(金星は木星から作られた)。
 荒唐無稽な説と嗤われるのを承知の上での大真面目な主張である。本書の中でも、スピノザは、(イザヤ書など)聖書中の奇蹟と思われるものは、自然界のしわざにすぎない」と窘められていることを敢えて書いている。
 それどころか、スピノザの論に言及している:「事件を、実際に起こったこととは、まるで異なったもののように考え、そう記したのである。」「必要なのは、最初にこれらのことを記した人の見解を知ること……およびそのような見解を、われわれの五感に感じた実際の印象から区別することである。さもなければ、見解や判断した事を実際の奇蹟と混同し、正しく起こったものだ、と考え違いをするであろう。いや、それどころか実際の出来事を、象徴化した空想的なものと混同するであろう。」
 それでも、「彼の著作全体は、聖書に描かれている歴史とエジプト史などの考古学や古代の文献から構築されている歴史とを整合させたいという考え」を抑えることはなかったのである。

 

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