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2021/02/13

パイプ車庫撤去作業終了

Vilet2_20210213201101  ← シャーロット・ブロンテ著『ヴィレット(下) 』(青山誠子訳 白水Uブックス) 「異国の街で寄宿学校の教師として生きる英国女性の内面を描き、『ジェイン・エア』以上に円熟した傑作と称されるブロンテ文学の到達点」


  今日は暖か。外出の際は、エアコンは消す。買い物から帰って部屋に落ち着いて しばらくして おや 暖房 使ってないぞと気付いたり。気温は17度ほど。ジャケットのジッパーも締めないで自転車を駆っても寒くない。
 が、来週はまた寒波が襲来。大雪の可能性もだって。もう、雪は嫌だ。

 シャーロット・ブロンテ作の『ヴィレット(下) 』を読了した。
 上巻の途中で、「常識的な小説の概念(吾輩の思い込み)を超えるというか、覆すような作品。自伝風だからなのか。でも、虚構作品のはず。ある種個性の強い…強すぎる主人公の女性とヴィレットという異国の町の寄宿学校の、主人公に負けず劣らず奇矯な教師との絡みが波乱含みの予感で、面白くはある。イギリス風のゴシック小説の気味も色濃くなって、ますます目が離せない」などと呟いた。
 偶然の出会い(再会)を露骨に使っていて、普通なら辟易するところだが、そこはシャーロットの過剰なほどの心情描写や情景描写に圧倒され、読者の疑心など圧倒されてしまう。「主人公に負けず劣らず奇矯な教師との絡みが波乱含みの予感」と書いたが、下巻では、まさに波乱そのもの。呆気にとられる展開。プロテスタントとローマカトリックとの相克もあって、安直な仏教徒の吾輩には理解など及ばない宗教的煩悶も読みどころ。詳しくは書かないが、本書は読み手によって評価がはっきり分かれるに違いない。吾輩も途中で、ストーリーテラーならもう少しうまく話を展開させるんじゃないかと疑問めいた感懐も抱いたほど。だが、それはとんでもない勘違い。底の浅い理解に過ぎない。シャーロット・ブロンテ(の「ジェイン・エア」)ファンの吾輩は、小説の主人公というより、まさにシャーロット自身に限りなく迫っているようで、忘れがたい読書体験となった。個々の場面での情景描写は、現代文学でも並び立つ世界は得難いのではなかろうか。


 リンダ・リア著の『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』(上遠 恵子訳、2002/08東京書籍刊)を読み続けている。ようやく700頁の本の500頁ほどを読んだところ。野鳥観察が大好きで自然に生きるものを観察するのが好き。学術研究一辺倒ではなく、海などの自然に生きる全体がまるごと好き。海から宇宙へ。科学的正確さを担保しつつ一般大衆に読む楽しさをも感じさせる作家的センスに満ちている。とはいえ、作家としての道は茨の道。家族の桎梏(それは慰撫でもあったが)や自身の健康不安、研究者間の難儀の数々。やがてカーソンは自らの使命を自覚する。同時にその課題の重さを痛感する。女性科学者の決して順風満帆ではない人生を実に緻密に追っている。読んで面白い。


 


Kyatatu_20210213200801 ← 腰の痛みは引いたので、久しぶりに庭仕事。メインは倒壊したパイプ車庫の片付け作業の再開。パイプ類はアンカーも含め撤去した。あとは業者に引き取ってもらうだけ。作業終了後、現場を撮影。すると近所の猫がやってきた。気付くかな。脚立の足下 後ろに隠れてる。現場監督してた?


 昼過ぎ、ゼンザイを作ってみた。多分、初めて。立春の頃に食べるつもりだったけど、面倒でスルーしてしまった。小豆から作るのは無理だろうから、缶詰め(既製品)のゆであずきに焼いたお餅を入れて煮て作った。水を入れすぎて水っぽくなったけど、まあまあ美味しかった。これにてバレンタインは終り。

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