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2020/12/14

雪の中 ブコウスキーからルクレーティウスへ

Poketo_20201214203401  ← チャールズ・ブコウスキー 著『死をポケットに入れて』(中川 五郎 訳 ロバート・クラム イラスト 河出文庫)「郵便局勤務の傍ら創作活動を行う。50歳から作家に専念、50作に及ぶ著作発表。『町でいちばんの美女』『詩人と女たち』等」

 

 昨日からの雨が、朝の9時頃から雪に。午後の3時にはすっかり雪景色。買い物からの帰り、小学生(低学年)の下校に遭遇。雪の礫(つぶて)を投げ合ったり、はしゃいでる。無邪気でいいな。
 先程三時過ぎからエアコン(暖房)使用開始。20年モノのエアコン、頑張れ! 20度に設定。これまでは、体感室温15度以下だったので、暖かい。

 

Uraniwa ← 台所の傍の小さな藪。茶の間から見える。防風林のつもり ? !  朝の九時頃、いつの間にか雨が雪に変わっていた……30分も経たないのに雪の色に染まってきた。積もる。どこまで積もる?

 

 ルクレーティウス 著 『物の本質について』(樋口勝彦 訳 岩波文庫)を読み続けている。自然哲学の考察を詩文風に。
 過日、プルタルコス著の「食卓歓談集」(柳沼重剛 編訳 岩波文庫)を読んだことがある。プルタルコスは一世紀から二世紀にかけてのギリシャの著述家。その中で自然現象について語り合うことがしばしばある。本書『物の本質について』はまさに自然現象を題材とする。当然ながら、魂や精神、肉体、死なども大きな関心事。近代以降の科学的発想のない中、プルタルコスより一世紀ほど前の自然哲学者ルクレティウス(紀元前99年頃 - 紀元前55年)は懸命に思考する。ヒトが死ぬと魂は消える? 見えるってどういうこと? 遠くのものが霞むのはなぜ? 鏡って何? なぜ映る? 死んで肉体が腐るのに、精神も腐る? 魂は腐らないの? 実験という発想のなかった中、観察と考察と想像力と先人や同時代の人たちとの議論が全て。ひたすら考え抜く。予想外に面白い。

 ということで、今日は、買い物(歳暮)以外は、ルクレーティウス の『物の本質について』を読みことに終始した。と云いつつ、漱石(彼岸過迄)も読んでいる。

 

Uramiti ← 表から裏へ続く庭の小道。

 チャールズ・ブコウスキー 著の『死をポケットに入れて』を読了した。仕事の合間に。
 ブコウスキーが亡くなったのは94年3月、73歳で。この日記風作品が書かれたのは、彼が70歳の頃か。日記の日付けは91年になっている。売れ出して貧乏生活から抜けたしたようだ。50歳を超えての売れっ子ぶりに戸惑い気味。人目を避けて、それとも頭を空っぽにするためにか、競馬に明け暮れる。出始めたパソコン(アップルか)との相性が良かったようでペンも進む(キーボードが快調)。
 ハリウッド映画嫌いのブコウスキー。夜の街と糞ったれとか悪態をつくブコウスキー。競馬場が居場所のブコウスキー。競馬場の酒の飲める席で、男たちが競馬の話に夢中。傍で子供らが音声の煩いテレビを脇にはしゃいでいる。ブコウスキーは、テレビの音が煩くて音量を下げてほしいと思う。が、男たちは黒人。そんなことを云うと、人種差別主義者と誤解されそうで言えない。彼は黙ってテーブルを離れるのだった。そんなナイーブがブコウスキーと彼が尊敬するセリーヌとは違うところ。
 随所にあるロバート・クラム( Robert Crumb 「Welcome to rcrumb.com - The Official Crumb Site」 )の挿画が本作品を味わい深いものにしている。名前は知らなくとも、何処かで目にしているはず

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