追体験する気持ちで漱石を読む
← シモーヌ・ヴェイユ 著『神を待ちのぞむ』(今村純子 訳 河出書房新社)「自分にとって「灯台のような存在」と言い、「ユダヤ人が教会のそとにあるかぎり、じぶんはカトリック教徒にはならない」という言葉に「息もできないほど感動」した須賀。不滅の輝きを放つ名作」
晴れの日が数日続いた。富山は二日続きの夏日。そんな暖かな気団が去り、雨雲が近づいている。だからだろう、風が強まってきた。夕方、この二日のハードな庭仕事のご褒美にと、銭湯へ行ったのだが、自転車を漕ぐのが辛いほど。風が暖かいから耐えられる。夜半を回る頃からは雨のようだ。
シモーヌ・ヴェイユ 著の『神を待ちのぞむ』も読み続けている。シモーヌの特異なまでの神やキリスト教への想い。プラトンの「ティマイオス」などの著作の註解を通じての独自の解釈。ユダヤ人としてのカトリックの正当なキリスト教理解への違和感。何もかもが独創的。パスカルやキルケゴールとも違う、あくまで徹底しての神への想いが綴られる。
夢: 昔あった資材置き場に(潜むように)いたら、隣家の御主人(故人)が突如出てきて(そこにいるのは分かってるだよと)こちらに寄ってきて私に何かを手渡す。私が貸したか無くしたものだ。手渡された何か(目覚めた直後は覚えていたが尿意で起き上がった際に忘れた)を私は戸惑いながら(こんなものなど)納屋か生け垣の一角に引っ掻けてしまう。見咎めたのか彼はその場に立ったままだ。私は何故か竹刀を持っている。彼も不思議なことに竹刀を手にしている。どちらの竹刀も朽ちて振り回すのは難しい……(あとは忘れた)
手渡された何か(手袋ほどの大きさのぬめぬめしたもの)が肝心なのだが。
← 『角川書店版 夏目漱石全集〈7〉』「それから」「満韓ところどころ」など。日記、書簡。同時代人の批評。解説・注釈:吉田精一 作品論:吉行淳之介 1974年刊 吾輩は、古書市で全集を買った。但し、巻11が抜けていた。
『角川書店版 夏目漱石全集〈7〉』を読み続けている。
暗澹たる結末だった(あるいは代助の自殺を暗示するような)「それから」を読了し、「満韓ところどころ」を昨日に引き続き読んでる。胃病に苦しみつつも、高名の人とて、いや応なしに講演を頼まれる。(頼んだ当人ものちに胃病に倒れ、漱石に謝ったりする。)
漱石は満州各地を案内してもらう。ボロい馬車で悪路を病む体で。日露戦争の激戦地二〇三高地へ。戦闘の経験者に詳しく話を聞く。日本兵の戦死者の多くは味方の砲弾のゆえ。生々しい証言を詳しく聞いた。
上記したように、漱石は胃病に苦しみながらの旅。義理があっての満韓への旅だった。食事もままならない。が、胃の苦しみ痛みを緩和するために食べたりするほど。痛々しい。決して急がず、じっくりゆっくり読んでいる。追体験するような気持ちで。
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