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2020/11/06

眼鏡は洗濯機でピカピカに

Tenno_20201106201501 ← 片山杜秀著『皇国史観』(文春新書)「幕末維新から令和の代替わりまで歴史と天皇をめぐる「思想の戦い」が始まる! 『未完のファシズム』、『近代日本の右翼思想』など、ユニークな日本思想史で知られる片山杜秀が問う。危機の時代だからこそ、考えたい「国のかたち」。」

 寒い。仕事からの帰宅時、シャワーを浴びたい。けど、浴室も脱衣場も寒い。髪が痒かったけど、我慢して寝た。たった今、シャワー 浴びた。脱衣場などをストーブで一時間ほど暖めて。

 昨日、仕事の日は真っ青な空。紅葉に高揚。立山連峰の山頂付近は冠雪。今、ラジオからはエンヤonly time♪ 通勤の車でも、今はエンヤ

 片山杜秀著の『皇国史観』読了した。博覧強記の片山節が炸裂。どうやら講義録らしい。音楽評論家とばかり思っていたら、近現代史に詳しく、思想史の研究家のようだ。本書には、さすがに目次はあるものの、索引もなければ、参考文献もない。解説もない。したがってどういう経緯で書かれた(記録された)のかも分からない。語調からして講演か講義だったのかなと推察できるだけ。あるいは、著者は記憶だけで講義したのだろうか(さすがに文中に参照文献は書いてあるが、その本に言及するのだから、書名を書くのは当然だろう)。本書の内容案内が参考になる。「マイナーだった水戸学が、なぜ維新イデオロギーとなったか? 大日本帝国憲法の制定で、伊藤博文VS井上毅の大論争 天皇機関説事件は「大衆の反逆」だった? 「網野史観」が天皇像をリニューアルした? 「令和の代替わり」近代天皇制の枠組みが壊れた日 民俗学の両雄、柳田国男と折口信夫は正反対の天皇観を持っていた⁉」などなど。吾輩もだが、日本の歴史、特に近現代史には疎い。高校時代の日本史の授業でも、近代やまして現代となると、早口になり通り過ぎるだけ。評価が微妙で、逃げ腰を感じた。富山は保守王国なので、猶更なのか。上記したように、近代天皇制の枠組みが壊れた日として語られる「令和の代替わり」は特に興味深い。本書の末尾での著者の結語が印象深い:「皇国の滅ぶ日まで、私どもは私どもの皇国史観を探求し続けるのです。」南朝と北朝の錯綜や女性皇族の問題など、解釈や史観は揺れて止まないことを痛感させられた。つまりは、天皇制を考えるボールは国民にあるのだ。

 仕事に使うジャケット。洗濯。危うくスマホを内ポケットに入れたまま…。ギリギリ、気づいた。ただ、胸ポケットに眼鏡を入れたままだった。洗い終わり干そうとして気づいた。眼鏡、無事。しかも、ピカピカ!
 普通に眼鏡のガラス面を拭いても、隅々の垢や汚れまでは取れない。洗浄液に浸せば違うだろうが。が、我輩はそんなもの 買わない。ふむ。洗濯の際に眼鏡も洗う。実用新案特許級のアイデアだ。

 異邦人の発言:「「竹中平蔵氏のいう「首を切れる」労働者が4割になった結果、家族はおろか1人で生きていくのさえ儘ならない社会となり、30年以上も停滞する異常事態となった。問題は正規雇用ではなく非正規化で労働者に寄生し、甘い汁を吸う竹中平蔵氏のようなピンハネ屋にと、それを重用する自公維のような悪政にある。
 貧富の格差は広まるばかり。コロナ禍にあっても、富裕層は日銀の金融政策もあって、資産が殖えてる。税金も富裕層のほうが、年収300万以下の層より低い。Alやロボットの進化(自動運転など)や海外の安い労働者が庶民の仕事を奪うばかり。より条件の劣悪な仕事しか残らない。
 富裕層の存在を安泰たらしめるためには、最低ギリギリの年収で消費し、税金(介護や医療費を負担する)を払う一定の人数の不定期労働者が必要。竹中のような頭のいい評論家は、その辺りを想定している。

夏目漱石全集〈6〉 」(1973年) 最近、仕事の日は晴れ、在宅の日は雨がち。庭仕事がなかなか出来ない。今日は曇天。ようやく動く気力が出てきたので、少し庭仕事。高枝切鋏で一時間弱……汗が滲まない程度に。庭を見て回ったが、やること在りすぎ。本も読みたいな。本書所収の「三四郎」や「永日小品」は読了したい。後者も味わい深い。好きな作品の一つ。

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