« 街灯はオレンジ色の光を | トップページ | 片雲の風にバイクツーリングへ »

2020/10/13

分子系統学史と漱石との2本立て

107902_xl  ← 田山花袋/著『田舎教師』(新潮文庫)「野心に燃えながら田舎の教師として短い生涯を終えた青年の出世主義とその挫折を、田舎町の風物や生活の中に描いた自然主義文学の代表的作品」

 今日、車を車検に出した。初めはちょっと離れた店に出すつもりで、帰りの足として自転車を使おうと、悪戦苦闘の末、なんとか積み込んだ。が、店に電話したら、本日は営業終了だって。仕方なく、一昨年車検を受けた店へ。そこはちゃんとやるが、高い。十万は軽く超える。

 さて、今日も庭仕事。本日は、車道沿いの生垣である山茶花の剪定。前回までは、内庭側から剪定していたが、今回は外側から。ちょっとだけよのはずが一時間余りの苦闘。汗だくに。枝葉は多くはカットできたが、太い枝などは高枝鋏では切れない。ノコギリ…。あんな高い場所でノコギリを使う自信がない。どうしたものか。

 田山花袋作の『田舎教師』を読了した。仕事の合間の楽しみとして読んだ。
 実在の人物の日記を元に小説に仕立てたもの。だが、小説になり切っていない。福田恆存氏も解説で書いているが、主人公の影というか存在感が薄い。当時の世相からも出世主義に駆られ、死の病に侵されても、健康なら戦争に兵士としていくのだが、と思いつつ、若くして肺病に没してしまう。モデルとなった人物が平凡だったのか、作家の田山氏に力量が足りなかったのか、主人公の渇望が今一つ感じられない。詳しい状況や風景風物世相の叙述はあって、紀行文としてなら一読の価値くらいはあるかもしれないが、小説としては食い足りない。外側から感情移入もなく彼の生活を眺めたという印象に留まった。
 本書を読みだして気付いたのだが、自宅の書庫にて岩波文庫版の「田舎教師」もあった。どちらが先か分からないが、随分と昔、「田舎教師」を読み、十数年後に持っていることに気づかずに新たに別の版で買ったのだろう。結果として、今回で通算3回目。正直、3回も読む作品ではなかった。

 気晴らしってわけじゃないが、このところ庭木の剪定(トラ刈り)作業、連日。昼前後、軽くのつもりで始めるんだが、ついむきになって汗だくになる。長時間にならぬよふ、普段着や部屋着姿でサンダル、といったラフな恰好でやってるんだが。ま、性分じゃな。昨日は、疲れが溜まったのと、銭湯での入浴で体から力が抜けたのか、食後、ブログを更新しただけて、あっさり寝落ち。漱石の「坑夫」、主人公がよふやく鉱山(足尾銅山)に辿り着いた場面だった。我輩も安堵したのかもしれんな~。

27969 ← デイヴィッド・クォメン著『生命の〈系統樹〉はからみあう ゲノムに刻まれたまったく新しい進化史』(的場知之訳 作品社)「分子系統学という〔……〕深遠なる生命の歴史と、生物種どうしの縁戚関係のパターンを、生物の体内に存在する長い分子を構成する、ユニットの配列から読みとる方法」。「分子系統学がもたらした意外な洞察は、生命の歴史や、生物のからだの機能を担うパーツについての、わたしたちの知識体系を根本からつくり変えた」

 デイヴィッド・クォメン著の『生命の〈系統樹〉はからみあう ゲノムに刻まれたまったく新しい進化史』を読み始めている。文系の本が続いているので、ここで生物学の本を久しぶりに手にしている。生命進化史。ということで、自宅では漱石と本書という2本立て。変わってる?

夏目漱石全集〈5〉』 (角川書店 1974年) を読み続けている。
一昨日の時点で、主人公がよふやく鉱山に辿り着いた。帰れ帰れの忠告にも関わらず、働きますと言い張ってしまう。戸惑いの日の夜も更け、やたらと広い畳部屋に泊まる。布団(有料)を借りて 草臥れた体を横たえ寝入ったと思いきや、体に違和感 チクッと痛み。そう、南京虫攻撃である。
 南京虫かどうか分からないが、我輩もダニか何かの攻撃で、眠れない一夜を過ごしたことがある。なんと、我が家で。
 東京在住時代のこと。連休の折りには帰省。泊まるのは、奥の部屋と決まっている。夜は布団で。ある年の夏、帰省したら、お袋が、布団 干してないからね、と。我輩、つい聞き流してしまった。団欒の時も過ぎ、就寝のため部屋へ。布団を敷いて寝た……が、痒み痛みが襲う。が眠気に敵わず、寝続け、朝になったら、悲惨なことに。身体中にダニか何かの噛み傷だらけ。ひえ~~。こんなに酷いことになるとは。
 父も母も、布団干しのできない体になっていたのだ。いつもは、父母がちゃんとやっていてくれた。我輩は、東京のアパートで、布団干しなどやったことがあるかどうか。万年床。窓からの日差しで自然干し。そうか、田舎では、普段は布団は押入れなんだ。父母共にいつしか、布団を押し入れから出し、外干しする体力はなくなってしまったというわけである。
 もう十数年前の傷は今も身体中に残っている。自慢の柔肌だったのに!

  さて、「坑夫」だが、前回のブログで実験的手法かなと書いたが、まさにそうで、所謂意識の流れの手法を漱石は意図的に試みているのだ。なるほど。

|

« 街灯はオレンジ色の光を | トップページ | 片雲の風にバイクツーリングへ »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書評エッセイ」カテゴリの記事

恋愛・心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 街灯はオレンジ色の光を | トップページ | 片雲の風にバイクツーリングへ »