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2020/10/18

クォメン著の本で渡邊力を知った

246863 ← プルタルコス 著『食卓歓談集』( 柳沼 重剛 編訳 岩波文庫)「プルタルコスと友人たちが酒杯を手にテーブルを囲んで交わす楽しいおしゃべり」「古代ギリシア・ローマの饗宴の席にあなたを招待する一冊」 

 プルタルコス 著の『食卓歓談集』を読んだ。仕事の合間の楽しみで。
 歓談だが、今の我々からは、とんでもない放談。男どもだけってこともあるな。昔の……古代の男どもは、女をどう観ていたか、嫌ってほど分かる。アメリカのトランプ大統領の支持者(の一部)やイスラム原理主義者の女性への偏見は、古来より変わっていないってことか。そのほうが、一部の男どもには都合がいいんだろうな。


「酒席で哲学談義してもよいか」「なぜ女は酒に酔いにくく老人は酔いやすいか」「宴会の幹事に適任の人間とは」「鶏と卵はどちらが先か」「ユダヤ人はなぜ豚を食べないか」「アルファはなぜアルファベットの始めにあるか」等々。歓談というが、プラトンで云う饗宴か。今でいうシンポジウムほど形式ばらない。解説によると、プルタルコスによる歓談形式の創作の可能性もあるらしい。自然現象をあれこれ問答する議論が興味深い。科学なき時代、とんでもない妄説が飛び交う。古代ギリシア・ローマの饗宴の席に(創作であっても)こんな話が交わされていた。同時代の日本は弥生の前期か。当時の弥生の人々の会話を探るすべは何もないのかな。

 何十年ぶりに、七越の今川焼を貰った。食べた。旨い。最後に食べたのは、小学生?中学年だったかな?

 『夏目漱石全集〈5〉』 (角川書店 1974年) を読み続けている。「文芸の哲学的基礎」を昨日から読み始めた。はじめのほうは、哲学の入門書を読んでるみたい。とことんやりきる漱石ならでは? 明治にこんな方がいたってことは、励みになる。
 この論考の後半はさすがに文芸論。何事も基本から徹底して考える。創作を志す吾輩には励みと勉強になる。ついで、「創作家の態度」これまた叱咤激励されるつもりで読んでいる。

 今朝は冷え込んだ。タオルケットで我慢してた……が、堪えきれず暖房機を引っ張り出してきた。オイルヒーター。晩秋までは これ。

 デイヴィッド・クォメン著の『生命の〈系統樹〉はからみあう ゲノムに刻まれたまったく新しい進化史』(的場知之訳 作品社)を読み続けている。題名の生命の〈系統樹〉はからみあうは、進化論の誕生から深化に至る研究の歴史に相関する。研究者らの試行錯誤に感服。
 本書の山場の一つで、慶應義塾大学医学部教授とし微生物学の研究者として業績を残した渡邊力(わたなべつとむ)氏が大きく取り上げられている。著者のリスペクトが感じられる。まだまだ活躍できたろうが、胃癌のため慶應病院で死去、享年49だった。「渡邊力 - Wikipedia」は一読を薦める。

  本夕、一週間ぶりに銭湯へ。夕方時なので、浴場内は数人。ゆったりのんびり。宵闇を自転車でゆっくり走らせつつ、火照る体をやんわり冷ましていく。

 昨日より、ボッカッチョ 著『デカメロン (中)』(平川 祐弘 訳 河出文庫)を読みだした。上巻を読んで、こんなに面白いかと、目を見開かれる思いがした。一昨日、早速書店へ行き中巻下巻を買ってきたのだ。

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