富山で珍しく地震発生
富山、コロナ感染者、連日のように数人出ている。富山県内では、現在、新型コロナウイルス感染拡大警報発令中。東京は沈静化に向かっているようだが、富山も含め、地方はやばいかも。
今朝未明……2時50分頃、地震があったとか。震源地は富山県西部で、南砺市で震度3。富山市は震度2。大きくはない。富山県では地震は珍しい。我輩は、気付かなかった。ただ、尿意で3時頃に起きた。もしかして、尿意じゃなく地震の揺れに体が反応したのかな。
総裁選。あれほど手際よく出来るのに、コロナ対策などはどうしてあれほどチグハグなのか。自分たちを守ることには真剣なのね。
初めての試み。午前中に庭仕事を済ませる……じゃなく、作業後シャワーを浴びる……じゃなく、シャワーの際に垢擦りした。暑い中の作業で疲労困憊してて、シャワーで汗を流すのは爽快でいいが、さすがに垢擦りはきつい。が、火照った体、垢が面白いように落ちる。浴室が生暖かいから、今のうちだから出来るのだな。体重も測った。あまり減らない。
作業前に、燃えない資源ゴミを棄てに行った。空缶、スプレー缶、乾電池多数(10年分)、電気髭反り3個。その時、近所の奥さんと立ち話。燃えるゴミ置き場でのトラブルについて縷々。犯人を実際には見ていないことのもどかしさ。
「ガス中毒事故顛末」メモ(20年近く前、ホームページに記事を載せた。が、ホームページのサービスがニフティによって廃止され、ホームページ消滅。伴って数百の雑文も消滅した。なので、大雑把な形になるが、メモしておく):
当時、アパート暮らし。風呂付のワンルーム。隣は、警察犬の訓練所。つまり煩いし、匂いがきつい。だから安かった。それでも風呂があるのは嬉しい。ただ、ガス風呂で、装置が風呂場の中にある。冬でも訓練所に面する窓を多少でも開けておかないとまずい。が、その日は、ふとした油断(あるいは不精)で窓を開けるのを怠った。洗い場で立っていた瞬間、気分がおかしくなった。意識が昔のブラウン管テレビの乱雑画面のように崩れ去った。倒れる…。その最後の一瞬、体をドアにぶつけるようにした。
ドアは風呂場側から部屋へ開ける方式。畳の六畳間に倒れ込み、喘ぐようにして息をした。ギリギリのところで命だけは助かった。浴槽の中で意識が無くなったら、とてもじゃないが、助からなかったろう。あるいは洗い場に居ても、ドアを浴室に引く方式だったら、とても引く余裕などなかった。あのブラウン管テレビの砂嵐のような意識の状態でよくドアに体を預けないと、なんて思えたものだ。
そもそもなぜ、決して締め切った状態で入浴してはいけないと分かっていながら窓を開けなかったのか。あまりに煩かった? 匂いがきつかった? あるいは、当時失恋して暗澹たる気持ちだったので、潜在的な自殺衝動が半ば意図的に死につながりかねない<不注意>を行わせてしまったのか。
その事故を境に自分の体質か何かが変わった。一番、自覚しやすいのは、自分の中から歌う衝動が消えたこと。人前でこそ歌わないが、吾輩は一人の時は常に声に出さないでだが、歌っていた。歌は口を突いて出てくる。歌のない時間などなかった……はずなのに、歌が消えた。あと、振り返って気づくのは、その頃からなぜかコーヒーを飲まなくなった。部屋には常時、インスタントであっても、コーヒーは常備していた。
もっと歴然としているのは、気が弱くなったこと。学生になった頃も卒業の時も定職に就こう、仕事を探そうという発想は全くなかった。フリーター生活で通していた。が、気が弱くなったのか、知り合いの勧められるままにサラリーマンになった。まともな本が読めなくなった。バイクブームもあったが、読むのはオートバイの本か雑誌。哲学や文学本など手にしなくなった。会社で流行っているゴルフに夢中になり、月一ゴルファーになり、テニスに卓球にスキー。ガールフレンド擬きもいたような。
多少でも文学に回帰するのに十年を要した。友人がワープロを駆使して仕事しているのに刺激され、ある年の正月15日、秋葉原へ。ソニーのワープロを買った。その書体に魅せられた。会社から帰宅するのは夜中。丑三つ時に仮眠から起き上がって、ワープロに向かい、ポロックやクレーやヴォルスなどの作品を前に、日々創作し続けた。日に多くて3時間の睡眠時間の日々が続いた。
1993年には、メニエール病なのか、朝、ベッドから起きようとすると意識がグルグル回るようになった。吐き気も。きっと限界に来ていた。会社では窓際族どころか瀬戸際に追い詰められていた。手術で入院し、退院した翌日、会社で首を申し渡された。誕生日の翌日だった。ショックだった。でも、ホッとした。
(ベースには生まれた時からの障害(口唇口蓋裂)と、そこに十歳の時に受けた手術で負った重い障害、鼻呼吸が不能となった、がある。これはブログに書いた。)
『夏目漱石全集〈2〉』 (角川書店 1973年 但し吾輩は古書市で購入した)を相変わらず読んでいる。
本巻所収の『吾輩は猫である』では、随所で古今東西の古典を多数、カリカチュアライズしている。ドストエフスキーやゴーゴリなど。恐らく吾輩の気づかない作品が相当にあるのだろう。奥が深いというか、一筋縄ではいかない。だから何度読んでも面白いのだ。今日(9月2日)の時点で、本文の6割、注釈を含めた全体の半ばまできた。
デイビッド・ホワイトハウス著の『月の科学と人間の歴史 ラスコー洞窟、知的生命体の発見騒動から火星行きの基地化まで』(西田美緒子[訳] 築地書館)を読み続けている。
数千年の昔から月を巡る神話や信仰があり、少しずつ科学の精神が見えてくる。古代ギリシャはやはり、傑出した時代だった。偏見の目を払って思考の力で自然を見る精神の誕生があった。が、キリスト教の暗愚の波に呑みこまれていく。「月」をテーマの本は数々読んできたが、一番まともな本かもしれない。
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