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2020/09/09

夏休みの課題は過大でした

Soseki2_20200909200801 ← 『夏目漱石全集〈2〉』 (角川書店 1973年 但し吾輩は古書市で購入した)

 昨夜(八日の夜)の夕食は久しぶりに即席麺。暑すぎて買い物へも行けず、食べるものがなくなった。台所はエアコンもなく、たださえ熱気が籠ってる。鍋で湯を湧かす。この光景は2ヶ月ぶりか。6月末以来かな。素のラーメンじゃ淋しいので、ワンタンたっぷり。ワカメに冷凍庫からチャーシューも。何だか食い足りなくて、残り物の御菓子と牛乳でデザート。今日は猛暑からは解放されそう。

 『夏目漱石全集〈2〉』 (角川書店)を本夕、読了。
 午前中に本巻の「吾輩は猫……」本文を読了。早朝に庭仕事するつもりだったが、ついあと少しと読んでいるうちに昼前に。幸い、今日は猛暑じゃない。敢えて真っ昼間に作業開始。さすがに陽射しはきついが、途中に眩暈することもなく、遣りきることが出来た。

 そういえば、解説もそろそろ読み終えそうな夕方、雨。ザーと。天気予報通り。庭木や畑や、雑草たちには恵みの雨。渇いた心にとっても。慌てて洗濯物を取り込んだ。

 本巻には、「吾輩は猫である」全文と、「文学談」「処女作追懐談」「自序」「同時代人の批評」解説、なだいなだ氏による作品論などが載っている。ちなみに、70頁に渡る注釈も含め、全部読んだ。
 漱石は文壇の人ではない(漱石の活躍当時、文壇があったかどうかは知らない)。学界の人でもない。博士号は断った。独立独歩の人。その後の作品群もだが、独自に文学の世界を切り拓いた。その典型の一つが、本作「吾輩は猫である」であり、「坊っちゃん」だ。日本の文学に滑稽や諧謔を描き切った作家は少ない。その後は、内田百閒を始め、何人かは現れたが、漱石を以て嚆矢とする。彼の前例となる作家があるとしたら、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』 を筆頭に江戸時代には見つかる。が、明治の世になって、中央集権と軍国主義、そして武士の気風を見習うような、封建主義と男尊女卑が是とされる社会になった。文学ですら、私小説を典型とする、外の社会、まして海外のことなど我関せずの井の中の蛙的純文学を至上とするようになった。漱石的余裕の諧謔文学の存在する余地が狭まっていった。漱石ですら、人生これなんぞやという文学に傾斜していった。それが悪いはずはない。が、視点の上で高みから己を俯瞰する批評性が薄まっていった。人生論はいいが、そこには社会が政治が世界が圧し掛かっている。人間は抽象的に存在しているわけではない。滑稽や諧謔、を中心とする文学が切り拓かれる可能性はあったのではないか。解説にもあるが、「猫」が書かれた頃は、実は漱石は経済も含め精神的苦衷の最中にあった。「人を笑わせ、自分も笑うことを楽しんでいたかに見える漱石は、私生活においては、もっとも暗澹とした状態にあった」のである。ある意味、「「猫」の駄洒落や笑いが、憂鬱を軽減しようとする自己韜晦に由来したと、見られぬこともない」わけである。ま、そんな理屈はともかく、漱石の読者を楽しませるサービス精神に溢れた滑稽作品の金字塔として楽しめばいい。早速、次の第三巻に移る。「草枕」などを所収である。

 中学二年だったかの頃の愚かな失敗。それは夏休みの宿題。確かある岩波新書(渡り鳥の方向感覚?)の感想文の提出。吾輩は感想文など書いたことがない。そもそも、感想文ってことが理解してない。吾輩は、真夏の暑さを避けようと、奧の座敷に腹這いになって、連日せっせと感想文を書き続けた。が、それは感想文じゃなく、(よく言えば)梗概で、1冊まるごと、全文の要約なのだった。レポート用紙で何枚になったことやら。さて、その評価は?
 実は近所に同級生かいた。彼は、なんと数行で片付けたとか。その彼の<感想文>のほうが、我輩の労作より評価が高かった! ちなみにその彼、二十歳になる前に美人と早々と結婚。
 何を書けばいいのか、宿題の意図しら理解してなかった。感想だと、それこそ面白かったの 一行で終わりそうだったし(あるいは、よく分かりませんでした)、結局、ただ内容紹介のような訳の分からないものに。覚えているのは、広い座敷で何日も耐えたあの夏の日々の暑さだけ。
 今、ブログを書きながら、思い出した! 夏休みの課題に出された本とは、桑原 万寿太郎 著の「動物と太陽コンパス」 (岩波新書 1963年) だった。

 野党(合流新党)の代表選討論会を一部聴いた。与党の総裁選討論会と比べての大きな違い。与党側は石破さんも岸田さんも、口調がゆったり。噛んで含めるように。いろんな支持者有権者に分かるように。野党側は、二人とも口調が攻撃的というか、喋りが早すぎる。喋りたいことが多々あるのだろうが、いろんな聴き手の存在を意識して、要点を簡潔にゆっくり話すよう努めるべきではなかろうか。

 総裁選。共同会見……其々の主張には来年のオリパラについての見解は示されなかった。記者からの質問もなかった? 実施は動かないから? IOCの関係者は、210の出場予定団体のうち幾つかは出なくても問題ない。コロナもどうってことない。克服した大会にするとか。オリパラを商売にしてる奴等の言いそうなことだ。

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