吾輩は猫…から宇宙と宇宙をつなぐ数学へ
← 七日夕方の虹。虹は二重のところもあった。雨はほとんど降ってないのに、虹。東の空に雨雲なのか。
やばかった。6日の夕方気づいたのだが、車のルームライト、点灯したままだった。前夜半に帰宅したから、20時間近く、点灯したまま。たまたま、玄関の外に置きっ放しの自転車を取り込もうとして、異変に気付いた。危なかった。明朝にはバッテリー上がりもありえた?ど
今日八日も富山は猛暑。36.3度。翌日が休みなので、今日は庭仕事したかったが、熱中症の恐れもあるので、休息と読書に専念。漱石の「吾輩は猫である」を読み続けたし、加藤文元著の『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』(角川書店)を読み始めた。
とんでもない勘違い。例の燃えるゴミ置き場トラブル。トラブルおやじがルール無視のゴミ出し。ゴミを出しネットを被せて…と思っていたが、そうか、おやじはゴミを好きな時間に捨てていただけなんだ。ネットは、カラスにゴミが食い荒らされるのを見かねた我が班の奥様方の誰かがセットしてくれていたんだ。思えば、あのおやじがネットをセットするはずがない。今日、ようやく気が付いた。
なぜ、気が付いたか。それは、今朝は、ゴミ出しの日でもないのに、未明にはゴミが出してあって、ゴミがカラスに食い荒らされていた。吾輩は仕事なので、その惨状を横目に仕事へ。夜半過ぎに帰宅。きっと、ゴミにはネットが被されているんだろう…、ゴミは奴の家の庭に捨ててやると思いながら。だが、帰宅して驚いた。ネットはセットしてあるが、肝心のゴミがない! そこで気が付いた。奴が片づけるはずがない。翌日、つまり今日の当番の方が、散らかったゴミを片付け、ネットだけは残したんだ。朝になったら、ゴミを出す。まるで奴がきちんと朝、ルール通りに出したかのように。
以上は昨日書いた。今日(八日)、午後、近所の奥さんが来た。昨日、警察の方が巡回に来たとかで、その際に、我が家の庭先の燃えるゴミ置き場でのトラブルについても話されたそうだ。警察官は、トラブルの元の家にも行ったようだ。
但し、案の定だが、警察は町内のゴミのトラブルについては介入できない。町内で解決を求めるという姿勢だったとか。
こうなった以上は、やはり、監視カメラの設置は避けられない。証拠をがっちり握った上で次の段階へ移る。
← デイビッド・ホワイトハウス[著]『月の科学と人間の歴史 ラスコー洞窟、知的生命体の発見騒動から火星行きの基地化まで』(西田美緒子[訳] 築地書館)「地球に最も近い天体である月は、古代エジプト、イスラム、ルネサンスから近現代の科学者まで、無数の人びとを魅了し、科学研究を動機付けてきた。天文学への造詣の深い著者が、先史時代から現代までの、神話から科学研究までの、人間と月との関係を描いた異色の月大全」
デイビッド・ホワイトハウス[著]『月の科学と人間の歴史 ラスコー洞窟、知的生命体の発見騒動から火星行きの基地化まで』を今朝読了した。月を巡る神話や物語は日本に限らず、古来より少なからず見受けられる。近代より遥かに夜の闇の深かった古(いにしえ)において、月明かりの煌々たる輝きの眩さは想像を絶するものがあったろう。新月や曇天で月が隠れた夜の闇は、とてつもなく深かったろう。現代であっても、ちょっと郊外の山間の道に足を踏み入れたなら、漆黒の粘り付くような闇に呑みこまれるような感覚を覚えることがある。いや、家の庭ですら、街灯とは反対側の一角では思わず手を伸ばして歩いてしまう。
闇の深さに浮かぶ月。そう、その浮遊感の与える不可思議な感覚は月の科学が進み、半世紀近く前に人類が月に足跡を残したと分かっていても、不意に見上げる夜の月の形而上的感覚は何か原始的な思いをも抱かせる。
科学の進歩は月についても謎を次々と解いていったし、クレーターの成り立ちも分かってきている。月の極には凍った水があることも分かっている。月探査の上での酸素と水素の確保は既に解決済みなのである。月を探り、あるいは月をベースに火星へ、さらにその先へ進もうとしている。月は資源獲得競争の場として地球上の野暮が、見上げる世界でも繰り広げられていると思うと、興覚め以外の何物でもない。
それでも、月は、あるいは天体の存在は、今もって科学の探求の先で、我々を魅了し続けるに違いない。月を巡る本はこれまでも読んできたが、今後も科学物に限らず読んでいくつもりである。
← ジャック・ロンドン著『白い牙』(白石佑光/訳 新潮文庫)「ホワイト・ファング(白い牙)と呼ばれた一頭の孤独な灰色オオカミの数奇な生涯を、ゴールドラッシュ時代の北の原野を舞台に感動的に描きあげた、動物文学の世界的傑作」
「野性の呼び声」の作家としても有名なジャック・ロンドン作の『白い牙』を今朝未明読了した。本文は仕事の合間に読んでしまって、訳者による解説だけ自宅で読んだ。
有名な作品だし今後も読み継がれていくとは思う。文章に力があり、読む手を休ませないのだ。ただ、少しは読書体験を重ねてきた自分、人種問題などにも無垢ではありえない今となっては、ナイーブな気持ちでは読めない。作家には明らかな人種的偏見がある。人種的序列があることは否めない。先住民の上の白人。先住民に限定的とはいえ飼いならされる狼。純粋な狼ではないのだとしても、こんな物語が現実にありえるのかと訝しんでしまう。いうまでもなく、白人の上には神が鎮座している。神ということで、キリスト教の神に留まらず、自然界のあるいは人間の世界の厳しい掟や神秘を暗示させることもあるとしても、狼ですら常に神を意識させられる。しかも、狼の上の先住民、その上の白人。無論、人間たちを無条件で描いておらず、それどころか随所で人間の愚かしさを狼の視点を借りて抉ってみせる。が、奇形の人間を出来損ないとして描くなど、ロンドンの中の常識は現代においては無邪気には受け止められるはずもない。
やはり、若いうちに読んでおきたかったというのが正直な感想かもしれない。
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