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2020/09/26

雨が空から降れば…

Hotaruga ← アゲハチョウは目にするものの、撮影できず。代わりというわけじゃないが、何とかという喋々(蛾?)を撮った。名前、過日 教えてもらったのに、忘れた。とSNSで呟いた。すると、ホタルガだと教えてくれた。

 一昨日の夕方、前日の庭仕事のご褒美とばかり、十日ぶりの銭湯へ。いつものよふに自転車で。湯に火照って、さあ風に髪を乾かしながら帰ろうと、外を観たら 雨。自転車も哀れ、グッショリ濡れている。屋根のある駐輪場はあるのだが、そんな必要などあるまいと、枠外へ。サドルを濡れタオルでひと拭き。傘があるはずもなく、その濡れタオルを頭に被り(意味ある?)家路を急ぐ……のも癪なので、いつもの公園脇の道をのんびりと。もう、開き直りである。季節はとっぷりと秋。秋のややひんやりした小雨の風情をしみじみ味わうことができた。

Ageha ← 庭仕事は今日は休み。庭を散策していた。ミカンの木の前で足が止まる。今年はミカン 不作。過日、一個しか見付からず。もっとないかと探したら、4つ生っている。と、ミカンの木の葉っぱに奇妙な虫 発見。虫じゃない? とSNSで呟いた。すると、「アゲハチョウ科の一種の幼虫です。まだ、終齢幼虫ではない若い幼虫なので鳥の糞に擬態しています。この後、脱皮して緑色の終齢幼虫になり、今の季節ですと蛹で越冬します。ハチなどに寄生されている可能性もあります。飼育することも可能」と教えてくれた方がある。

  午後の三時頃だったろうか、読書していたら、。不意に雨音。雨だ。ついつまらぬ雑想が浮かんだ。
 「雨が空から降れば~♪」という歌詞の歌がある。雨は空から降るもんだよ、地から湧いてくるわきゃなかろうが、と突っ込みたくなるのは、歌心詩心のない無粋な奴だと、逆にバカにされそう。「雨が降る降る 城ヶ島の……♪」にしても、雨は降るもので 雨が降るは、表現がくどい、或いは無駄が多い なんて云うのも、愚の骨頂なんだろうなー。

Otozawa ← 23日、バイクでのツーリングで訪れた音沢発電所。立て看板に、「柳河原発電所の歩み 大正5年 高峰譲吉博士らが日米合同のアルミニウム精錬事業のため、黒部川電源開発計画をを立てる」とあった。

 アドレナリン……タカジアスターゼの高峰譲吉は、富山出身。産業にも熱心で、富山の発電所作りにも影響した。「急流河川の多い富山県は、電源開発に最適の地である。発電所をつくって、この電気を高岡や伏木方面に送って、アルミニウムの製造を行ったらどうだろうか。そうすれば、伝統的な鋳物(青銅やアルミニウムなど金属を溶かし、鋳型に流し込んでつくった器物)の技術も生きるはずである。」(1918年(大正7)5月、『高岡新報』より要約

 ノーベル賞に値する研究成果を上げた日本人研究者が何人もいますね。高峰譲吉は、研究者としてもですが、実業家としての才能も豊かだったようです。ドラマ化してほしいな、なんて呟いていたら、ふと、昔、高峰譲吉の伝記映画があったはずと思い出した:『さくら、さくら 〜サムライ化学者・高峰譲吉の生涯〜

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 ← 井波 律子著『書物の愉しみ 井波律子書評集』(岩波書店)「中国の古典・歴史書から,ロックンローラーの伝記まで.好奇心と素直な驚きにあふれる三十年間の書評を編む」

 井波 律子著の『書物の愉しみ 井波律子書評集』を本日読了。自宅でゆっくり楽しみつつ読んできた。読もうと思えば一気に読めてしまうのだが、関心を惹く本が多く、気になる本に出会うたび、スマホなどでお気に入り(これから読みたい本)に登録してしまう。主に中国だが、日本の古典でも読んでいない本が山のように。
 丁寧な書評ぶりで、好感が持てる……のはいいのだが、読むほどに自分の無知や不勉強ぶりが思い知らされて、逆に憂鬱になったり。
 登録した中から一冊でも読めたらいい…。

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