久方ぶりに海王丸パークへ
← 仕事で久しぶりに海王丸パークへ。練習帆船海王丸や きっときと市場 北陸地方随一の斜長橋・新湊大橋などがある新湊(射水市)の大きなパーク。内緒ですが、アイス禁止の我輩、ソフトクリームを食べました。何年ぶりか分からないほど、久しぶり。たまらん!
今日は明けの日。明日は休み。気温が異常なほどに高いわけじゃないので、外仕事するかと思ったが、仮眠居眠りで疲労を除くことと、漱石の本を読むことに時間を費やした。夕方までに本文は読了。
読んでいた本というのは、『夏目漱石全集〈1〉』 (角川書店 1973年)である。昔、古書市で全集をまとめ買い。但し、巻11は欠。ほとんど手付かずだったのだが、コロナ禍での時間を生かして書庫から引っ張り出してきた。
本書も残りわずかというところ。書簡を読んでいたら、懐かしい小説が。伊藤 左千夫の「野菊の墓」である。数10年の昔(まで)はよく読まれた。漱石が絶賛。最近は書店では見掛けない。書庫にあるか……怪しいな。
← 伊藤左千夫/著『野菊の墓』(新潮文庫)
竹内 慎一郎著の『地図の記憶―伊能忠敬・越中測量記』(桂書房)を読んでいたら、ある情報を得た。「桃太郎侍」などで有名な 山手樹一郎は、生まれは富山ではないが(栃木)、先祖は、嘗ての泊町本陣を構えていた小沢家と同族だとか(p.120)。近くの家に、女優左幸子・時枝姉妹の生まれた額村家の屋敷があった。
今時の若い人は、女優左幸子・時枝姉妹なんて知らないだろうナー。
← 海王丸を間近で。中を見学することも可能。帆を全て張る、総帆展帆の時が見応えある。全長は97(?)メーターほどだが、間近で観ると大きく感じる。大海原に浮かぶと木の葉なのだろう。
仕事からの帰宅は、夜半過ぎ。寄り道などしない、真っ直ぐ帰る。家に近付くと、車のヘッドライトが生け垣などを照らし出す。あーあ、まただ、夾竹桃の花弁が車道に華々しく(!)散在している。車を駐車場に停め、荷物などを玄関に置くと、生け垣へ。車道に散らばる花弁を一つひとつ摘まんでは、生け垣の中へ。夾竹桃は元気、タカサゴユリなどの花が散ったあとも、依然として咲き続けてくれる。夾竹桃は、親が植えたものか、勝手に育ったものか分からない。
育っている場所が悪い。生け垣の中には近所の寺の場所を示す立派な看板がある。コンクリート製で、屋根付き。それが夾竹桃のせいで、隠れ勝ちになる。昔は夾竹桃も小さかったのだろうが
今や角地にある生け垣の中での存在感は圧倒的。他に金木犀やツツジ、ホトトギス(?)、タカサゴユリ、アオキ、ツゲなど繁茂しているが、今や夾竹桃は我が物顔である。生け垣の後ろには藏がある。藏の小窓の意匠はなかなかのものだと、住職が。夾竹桃のために隠れていて勿体ないなー、とも。バッサリ伐る……踏ん切りは付かない。
← 海上保安庁の巡視船やひこを反対側から遠望。背後は新湊大橋。車道の下には、歩道(自転車は押して)。
いつからか(昨年は既にその症状はあった)、手のひらが妙に荒れるようになっていた。荒れるといっても、ティッシュをそっと撫でると、紙が毛羽立ってしまう。嘗てはそんなことはなかった。日常生活には格段の支障はないものの、やはり気になる。過日、ハタと気付いた。いや、薄ら薄らきっとそうだろうと思ってはいた。
それは、昨年のいつからか使い始めた、台所カビ取り洗剤。泡タイプのスプレーである。従来はよくある液状のもので、ボトルを傾け、おなかを押すと、液体がピューと。これは手に触れてはまずかろうと、用心深く扱っていた。が、液体タイプは効果覿面なるも、すぐ流れていってしまう特性がうらめしいと感ずることも。そこに泡タイプである。使ってみると、当該の領域に(比較的)長く留まってくれるようで、重宝である。泡タイプを使い出してからは、こちら一辺倒。
← 海王丸パークでは、名物にはしていないけど、海上保安庁の巡視船やひこを観ることができる。アングルを工夫したら、海王丸と警備船のツーショットが可能。(後ろに海王丸のマストが見えます。)
が、泡タイプという特性に甘んじたというか、つい油断して、使い方がルーズに。把っ手部分や噴射口からの泡につい手が触れてしまう。無論、使用後手は洗うのだが、手についてから洗うまでの間のタイムラグが、液体タイプより明らかに長くなる傾向にあったのは否めない。ということで、泡タイプスプレーを使い始めて1年近くなる、今月初め、このカビ取り泡タイプスプレーの操作部分にペーパータオルを巻くなど、とにかくボトルに直接触れないように心掛けた。
効果は歴然だった。手のひらが従来のように、ツルツルに(年齢相応の経年劣化は否めないが)。こんなこともっと早く気付けよ、だろうが、持ち前の不精もあるし、観察や分析が億劫になり勝ちだし、ま、手のひらの荒れなどどうでもいいや、といったこれまた年齢相応の投げやりな気性も現れてきているのだろう。こんなふうにして、恐らくはいろんな微妙なところで、自業自得し人間本体が磨耗磨滅していくの……だろうか。
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