« 伊能忠敬らが我が町(村)をも | トップページ | 鳴海章作「密命売薬商」にて寿都に遭遇 »

2020/08/20

タカサゴユリよまた来年

Yuri_20200820202401 ← 我が家の庭で咲いている最後のタカサゴユリかな。元気なし。暑すぎる!

 今年は(も)蚊が少ない……気がする。猛暑で蚊も元気がないのか。雨が少ないので、水溜まりも少ないからか、ま、少ないほうがありがたいのだが。 

 昨夜の仕事からの帰宅は、夜半過ぎ。明日も早朝から仕事。日中は36度の予報。外仕事はパスする。代わりに床掃除やらトイレ掃除。結構、きつい。床が輝いている!

 我輩は(我輩には勿体ないような)立派なDVDプレーヤーを持っている。10型か12型。スーパーのポイントがやたらと貯まって、カタログで風呂場でも視聴可能なプレーヤーを選んだ。が、である。ゲットして間も無くボイラーが不調になり、入浴が出来なくなった。しかも、そもそもDVは高い! CDですら、年に1枚 買えるか否かの慎ましい生活ぶりの我輩、DVなど論外である。我輩としては、昭和歌謡の歌手の歌う場面を視聴したかった。聖子とか明菜、百恵、静香、キャンディーズ、ピンク……などなど。
 もう今ではテレビはおろかラジオでも、滅多に昭和の音楽場面は視聴できない。
 ある日、思い付いた。そうだ、スマホでYouTube! スマホをDVDプレーヤーに繋いで、大きな画面で我が歌姫たちを視聴すればいい! が、接続方法が分からず頓挫。接続ができるんなら、スマホをテレビに接続すれば、よっぽど大画面で歌姫の雄姿を楽しめる。結局、DVDプレーヤーはまた長い眠りに。この失敗に懲りて(カタログ販売での買い物下手な我輩)、スーパーのポイントは、スコシデモ貯まったら、即座に買い物の際に使うことにした。
 そんなことを呟いたら、SNS上の友から、パソコンを所有している場合、HDMIケーブルでテレビにつなげれば、テレビでYouTubeを楽しめると教えていただいた。

 我が家の前の燃えるゴミ置き場。誰かがルールを破って期日を守らず勝手にゴミを出す。その事実の確認とルールとマナーを守るように、という回覧を作成し関係者に回覧。しばらくはまともだったが、今度は出してはいけない燃えないゴミを出すようになった(同じ奴が)。無論資源ゴミに限らずゴミの分別の仕方や出す期日は当局から毎年、立派な表の形で知らされている。なのに、我が家が庭の一角を提供している燃えるゴミ置き場に燃えないゴミを奴が出し始めた! が、まだ吾輩は奴の犯行現場を現認していない。奴の家は隣家で、こっそりゴミを出しやすいのだ。やはり、監視カメラを設置して犯行を撮影し、追求するしかないのか。
 監視カメラの設置場所に悩んでる。燃えるゴミ置き場付近は、生垣しかなく、壁も柱もない。こっそり設置しようにも、そんな姿は隣家から丸見え。仰られるように、ダミーのカメラを設置するか。とにかく、犯行現場を押さえたい!

Kotoba ← 柄谷 行人著『言葉と悲劇 講演集成1985-1988』(第三文明社 1989)「シェイクスピアからウィトゲンシュタインへ、西田幾多郎からスピノザへ。その横断的な議論は批評の可能性そのものを顕示する。計14本の講演を収録」。

 仕事の合間に折々読んできた柄谷 行人著『言葉と悲劇 講演集成1985-1988』を読了した。30年ぶりの再読。久しぶりだからか、新鮮。バブル真っ盛りへ突っ込んでいく、ジャパン・アズ・ナンバーワンと世界から持て囃されつつあった日本。ポストモダンのモデルは日本にこそあると持ち上げられていたが、ほんの数年もしないうちにアメリカに叩き潰された。構造改革を自分では行えず、メタボな体がシュリンクしてしまった。そんな中、普遍的で且つ単独的な思考を貫こうとしていた意志は感じられるが、さて。本書の中では、デカルト論が際立っている。我が意を得たりである。高校時代、懸命にデカルトの主著を読みかじったことを懐かしく思い出された。それだけに、安易なデカルト論には辟易していただけに、援護射撃を得た気になれたのだ。最後の安居論も新鮮。読み返すだけの中身はあったと思いたい。

 また変な夢(近所の方が先月!亡くなられていたことを一昨日 知った。町内会には届けがなく、忌中の表示もなし。但し、新聞には葬儀の予定など載っていたとか):

……なぜかその家の方が我が家へ。誰かが香典を渡している……吾輩も出さないと……慌てて封筒にカネを入れ、名前を書き入れる。書く場所が分からず焦る。何とか形だけは調え渡した……すると(とっくの昔に亡くなっていたはずの)我が父が我輩に訊く、名前を書き入れる際にあれを使ったか? 吾輩はそんな儀礼の作法なんて知らないよと突っ張る。父は渡そうとした香典をひったくり、これはアカンと……ああ、この期に及んでやり直せというのかと呆然としていたら……みんなして香典を開いて覗き込んでいる……どうやら中に包んだ額が少ないことに呆れている(我輩としては、父の葬儀でその方に戴いた香典の額に合わせたのだが)……

 父絡みの夢が多い。ほぼ、毎日。よほど、抱えるものが大きい。

 高齢者のひとり暮し家庭で、エアコンがあるのに、使わないで熱中症で倒れるというケースがあとをたたない。エアコンは電気代が勿体ないからという説があるが、本当なのか。暑さに限らず感覚機能が鈍っているのが理由かもしれない。エアコンに温度センサーを付け、例えば室温が30度を越えると、自動的にスイッチがオンになる、なんて機能はどうだろう。

|

« 伊能忠敬らが我が町(村)をも | トップページ | 鳴海章作「密命売薬商」にて寿都に遭遇 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

恋愛・心と体」カテゴリの記事

写真日記」カテゴリの記事

夢・夢談義」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 伊能忠敬らが我が町(村)をも | トップページ | 鳴海章作「密命売薬商」にて寿都に遭遇 »