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2020/08/09

真夏の夜の夢風なモノローグ

Tin_20200809204401  ← 陳 舜臣著『中国発掘物語』(装丁:菊地信義 講談社文庫 1991年)

 陳舜臣著の『中国発掘物語』を読了。
 感想は、昨日書いた:父の蔵書。広大な中国。数千年の有史を持つ中国。欧米や日本の頸木を脱し、愛国心や誇りの自覚もあり、自国の遺跡を発掘調査しつつある。本書は、自国の手による発掘が始まる前から始まっていく段階のエピソードが書かれ面白い。掘れば掘るほど、『史記』などのお話が実は本当だったと分かってくる。古い本だという留保を前提に楽しんだ。

 卜辞:「先秦時代の中国で用いられた諸種の文字は、書写材料にしたがい、おおよそ甲骨文(略)、金文(青銅器の銘文)と簡帛文(略)に分けることができます。 三つの中では、甲骨文は比較的古く、出土資料が限られた時間的・地域的空間に集中します。殷代後期の都と言われる、中国河南省安陽の「殷墟」の周辺で出土したものが大半を占め、その他は、陝西省岐山県のいわゆる「周原」で窖に埋蔵されていた西周初期の甲骨です。資料に纏まりがあって文例の相互比較を行いやすく、正確な言語学的分析が可能」「史記」での殷についての記述裏書きした。

 次の仕事の際には、本書の続編を読むつもり。 

 柄谷 行人著の『言葉と悲劇』(第三文明社)を仕事の合間に読み続けている。昨日は江戸や朱子学関連の話題。柄谷氏が、仁斎や徂徠、白石、篤胤、宣長など江戸時代の思想家にも造詣のあること、再認識。朱子学の再認識中。
 江戸時代……明治の始めまでの思想家は漢文を咀嚼する素養があった。それが、明治の半ば頃から一気に洋学へ転向。科学や技術だけじゃなく文学までもが。その最先端に漱石らが居たわけだ。英文学を日本に種付けする。土台は江戸の文学芸能であり漢学だった。明治期、接ぎ木するような暗中模索。その土台にが朱子学があるとか。

Yuri_20200809204201 ← 夜半過ぎ会社から帰宅。すると、我が家(庭)への入り口にて、かのユリたちが開花して出迎え。昨日のうちに一気に開花したみたい。幹は金木犀の。 

 『ラフカディオ・ハーン著作集 第6巻 文学の解釈 1』(恒文社)を読み続けている。

 庭仕事するはずだったのに、銭湯へ行くつもりだったのに、本書を読みつつ、気になる箇所(作家)が出る度、スマホ弄って調べてしまう。気が付くと真っ暗。
 チャールズ・キングズリー作の「ヒュパティア」は、翻訳されてない?
 カーライル著「衣服(衣裳)哲学」ハーンの名解説で再認識。そうか、我輩は読まず嫌いだったんだ。岩波文庫はかなり古い。古いからってダメってわけじゃないけど。新しい訳は出そうにないか。
 やはり、ハーンが上掲書にて褒めてる。が、評論家らには、失敗作扱いだとか。それでもハーンは敢えて傑作と。さすかだ。
 30年ほど前の1年に渡る失業時代に図書館で発見した。当時の我輩には未知の作家だった(女性だとすら知らなかった)。その1年は、読書(と執筆)の上では収穫だった。マルケス「百年の孤独」メルヴィル「白鯨」などを再読して震撼させられた。この訳による「ロモラ」も素晴らしかった。20年後、ジョージ・エリオット全集を富山の図書館で発見し、早速入手し読んだ。がっかりした。訳が(まずいとは言わないが)肌に合わない。もう一度、この集英社版で読みたい。

 真夏の夜の夢風なモノローグ: 螽斯と蟋蟀が静寂の中で真夏の夜の豪奢を貪っている。草を食むのか蜘蛛の巣を喰い破っているのか。鬱勃の闇の大地に蜜蜂の骸そして蝉の脱け殻。蚯蚓までが喘ぎのたうっている。枝から舞い落ちる羽根は月影に末期の笑みを想わせる。望みが今たった今萎んでしまったのだ。嗤うしかないだろう? 造化の妙を至福の饗宴を咀嚼しようじゃないか。瞼を閉じるんだ。星々の玲瓏なる零度の音楽に聴き入るんだ。蜘蛛さえ眠りこけている今みんなで寡黙な蝶々の囁きを愛でようじゃないか。
 参考:「鬱勃の闇

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