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2020/08/18

伊能忠敬らが我が町(村)をも

Cosmos_20200818203301 ← 今日は暑くないうちにと、朝の8時から庭仕事。裏の畑の草むしりがメイン。半月前にやったばかりなのに、雑草が繁ってひどい。珍しく周辺の畑の持ち主が先週せっせと草むしりされていた。お陰でいつもなら我が家の畑が一番きれいなはずが、初めて我が畑の惨状が目立つように。やるっきゃない! さすがに作業の途中で座り込むってことはなかった。用心のため、途中で水を飲んだりはしたが。

 今日は暑さ対策で、朝の8時から庭や畑仕事。2時間余りの作業。我輩としては初めての試み。今までは、日中か少なくとも夕方五時過ぎから開始していた。でも、もうそんな時間でも暑い。それに読書が乗り始めている時間帯でもある。そこで早朝の開始。作業後、シャワーを浴び、一服後、買い物へ。それでも午後の一時過ぎ。午後はまるまる空く。なんだか、一日が長く感じられた。早朝の作業が昨日のようだ。

 

 角川版「夏目漱石全集〈2〉」 (1973年)を読み始めた。古本。「吾輩は猫……」など収録。昨夜からボチボチ読み始めた。初めて読んだのは二十歳頃か。面白かった。四十歳頃、再読。何故か楽しめなかった。3回目の今は、実に実に面白い。2回目の印象がマイナスだったので、やや懸念を抱きつつ読み始めたのだが、そんなの関係ね! である。

Soseki-3  ← 『夏目漱石全集〈1〉』 (角川書店 1973年) 

夏目漱石全集〈1〉』を今朝未明読了。
 古本市で角川版漱石全集を買った…が、当初から第11巻が欠けていた。本巻には、「坊っちゃん」「幻影の盾」「薤露行(かいろこう)」「倫敦塔」など初期短編・日記・書簡などを収録。ちなみに、「薤露行」は、中国の漢詩の一形式である古楽府「薤露歌」からの題名。薤露歌とは葬送のときに柩を引く者が歌う歌で、人の命のはかないことを薤(かい)すなわちオオニラの上の露にたとえた歌である。「坊っちゃん」は言うまでもないだろう。歯切れのいい江戸弁の痛快で明快な小説…のようでいて、漱石の(シェイクスピアから学んだ)登場人物の性格をそれぞれ明確にし読者に分かりやすくする方法論が取り入れられている。登場人物の徒名は、単に面白いだけじゃないし、江戸っ子の得意技に過ぎないわけでもない。「幻影の盾」と「薤露行」は、漱石の彫琢を尽くした詩的な作品だが、今回も撥ねつけられた。他は小品も書簡や日記も楽しめる。「坊っちゃん」が書かれたのとほぼ同時期の書簡や日記が併載されていて、参考になった。本漱石全集本は、本書で三冊目。まだまだ続けて読む。

Map-2 ← 竹内慎一郎著『地図の記憶 伊能忠敬・越中測量記』(桂書房)「忠敬を「隠密がましき」と断ずる加賀藩が、石黒信由に測量を見学させた画期的な姿勢は何を意味するのか。越中における史料をもとに忠敬の足跡を辿り、加賀藩の忠敬への対応を新たな視点から捉えなおす」

 竹内慎一郎著の『地図の記憶 伊能忠敬・越中測量記』を本日、読了。上記のように、本書は伊能忠敬ら一行による越中測量記の書。特に石黒信由との絡みがメインである。石黒信由は、越中・射水出身の和算家・測量家、天文家。本来なら加賀藩の影響の強い越中では石黒は伊能忠敬に会えるはずもなかった。だが、実際には会っている。にも関わらず伊能の記録には石黒の記述はない。1800年、55歳という当時として高齢から日本測量の行脚の旅に出た。持病の喘息に苦しめられながらの旅だった。20年後の1821年、「大日本沿海輿地全図」完成した。その直前に忠敬は亡くなっている。壮図の最後頃には間宮林蔵ともかかわりを持ったようだ。余談だが、伊能忠敬が我が町(当時は村)をも通っていたことを知り、感激。

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