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2020/06/08

泰山木の花を観た

Tokyo ← 杉本苑子著『東京の中の江戸名所図会』(文春文庫)「時代小説家の著者にとって、無二の友である「江戸名所図会」。そこに登場する日本橋、隅田川など約三十カ所を訪ね、時を超えて現代の東京に息づく「図会」の世界をとらえたエッセイ集」

 杉本苑子著の『東京の中の江戸名所図会』をほぼ車中にて読んだ。

 本書の内容は、上掲の通りだが、本書の肝は何と言っても、「江戸名所図会」にある。「江戸名所図会 - Wikipedia」によると、「江戸名所図会は江戸時代後期の天保年間、斎藤月岑が7巻20冊で刊行した江戸の地誌である」。
 本書の後書きでも作者が書いているが、「考証の確かさと、当時の景観や風俗を伝える雪旦の挿図が高く評価されており、江戸の町についての一級資料になっている」、その遺産のありがたさもだが、江戸名所図会の成り立ち自体がドラマである。

Kyotiku ← 畑で水遣りを兼ねて夕方の庭散策。400歩! 夾竹桃が例年に増して活力溢れてる。花がこんなに可愛いと初めて気が付いた。

江戸名所図会 - Wikipedia」によると、「神田の町名主であった斎藤長秋(幸雄)・莞斎(幸孝)・月岑(幸成)の3代にわたって書き継がれた。長秋は京都の名所図会(『都名所図会』)に刺激を受け、寛政期に編纂を開始。8冊本として刊行予定で、1798年に出版許可も得ていたものの、1799年(寛政11年)、長秋は63歳で病死(当初、『東都名所図会』という題であったともいわれる)。後を継いだ婿養子の莞斎は郊外分などの追補に努め、長谷川雪旦に画を依頼した。1818年(文化15年)に莞斎が死去し、その刊行は月岑に託された」のだ。このドラマ自体が物語になりそう…なっている。

Taizan1 ← 泰山木の花、ついに発見! 10年ぶりか。毎年咲いてるのだろうが、いつも葉っぱの奥に隠れて見えない。が、今年は葉っぱを押し退けて、自己主張するかのように咲いている。

 上掲書には、東京各地の地名が出てくる。それぞれに思い出や思い入れがある。駒場という地名で、ビビビと。

 まだ上京する前のこと。上野駅乗り替えだった。近代文学館に行きたくて、電車も億劫だし、遠くはないはずと上野駅からタクシーで駒場へ。我輩の頭の中では何故か本郷と取り違えている! おかしいな、とっくに着いていいはずなのに……。メーターばかりがカチャカチャ上がる。キンタマが縮んでいく。駒場の近代文学館に着いた時の我輩の心臓は止まりかかっていた! 文学館の中で何を観たか、まるで記憶にない。教訓:本郷と駒場は方角が違います。

Taizan2 ← これは何としても接写だと、脚立を持ち出して……すると、別の花も。丼鉢よりデッカイ。

 体が疲れやすい。というより、疲れが抜けにくい。仕事は夜半前どころか、夜の11時過ぎには帰宅できている。なのに、翌朝はだらだら。なんとか庭仕事でもと思えるほどに回復するのは、夕方近い五時頃。これじゃ、庭仕事どころじゃない。畑の水遣りがせいぜいである。なさけない。

Taizan3 ← よせばいいのに、接写どころか激写。こんな絶好の機会はない。どうしても中を観たいと覗き込んだ。雌しべ? 雄しべ?

 本も、寝たり起きたりの合間に少しずつ。夕食前のシャワータイムまでに読めたのは、漱石が22頁、ディケンズが48頁。どちらも全集本で二段組の本文だとはいえ、あまりに牛歩。
 で、夜になってさて、いよいよ読書に身が入るかなという時間になると、翌日早朝からの仕事が気になり、眠くなくても就寝タイムである。困ったものだ。

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