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2020/06/06

凡庸だからこそ本を読む

Cho ← 昼過ぎ、てふてふをサツキの小道で。やっと撮れたぞなもし。ゴマダラチョウ(胡麻斑蝶)だと読み友に教えていただいた:「ゴマダラチョウ」 嬉しくも赤い羽根の蝶も撮れたのだが、画像が不鮮明でアップできない。残念。

 今日は元気が出なかった。今日だけじゃないか。仕事の谷間の日でもあるし、庭仕事も控えた。気温が高くならず過ごしやすかった。外でも直射日光は柔らかだったが、風も冷たい。このくらいの気候が一番体に優しい。
 元気が出ないのは、謎の女のせい。自分は持てない男だという自覚がある。自信がないというより、他人と心底からの絆も縁も持ったことがない。閉じ籠った、乾ききって萎えた心。殻。ミノムシ。中はブヨブヨ。付き合うにはよほどの覚悟が要る。

 今朝の夢(二度寝したので大半は消え去った):

 何かの気配で目覚めた。寝室でもある茶の間の出窓からの眺めに何やら違和感あり。植木が揺れたり動いたりしている。明らかに昨日までの眺めとは変わっている。人影が一つ二つ。観ると知っている奴らだ。嘗ては俺の同僚だったが、今は付き合いはない。小柄な一人とは数年は同僚として以上の関わりがあったが、恰幅のいい奴とは言葉を交わす機会さえ数えるほどだった。何故ならそいつはすぐに別の会社に移っていったから。

 奴等は何やら喋っている。その間も我が家の植木が次々と根刮ぎ引っこ抜かれ取り去られていく。あるいは懸案だった庭木の整理再配置を敢行しているのか。奴等の他にも作業する人員がいるみたいだ。それにしても、誰の許しを得て?! 俺は窓外の奴等に見られたくなくて、思わず身を柱か壁の陰に潜めた。隠れたのじゃなく、奴等に会いたくない一心。今更関わりを持ちたくない。

 出窓は北向だが、西側からも何やら動きが。観ると木々が既に綺麗に取り払われていて、寂しいほどにスッキリしていた。が、植木や庭木どころか、家の中までが手を加えられている。普段は農家風な家のほんの一角で暮らしている。
 広さで言うと三畳ほどか。怠惰な暮らしぶりで、床も薄汚れている。その俺の生息場がいつの間にか、市販のペンキで塗り立てられていた。何処かの保育所のような、淡い黄緑色やらベージュ色。息が詰まるほどに健康的な雰囲気に成り果てている。気が付くと俺の棲み場所だけしゃない、家の中全体が丸裸に剥ぎ取られている。ベニヤかモルタルが剥き出しだ。俺が呆気に取られ呆然自失している傍らで、見知らぬおばさん(奴等のどちらかの奥さん?)が、勝手に采配を振るっている。テキパキし過ぎる!
(頂いたコメントへのレス:万年床どころか、万年(冬は厚手春秋は薄手の)毛布だけで寝る我輩です。夢の中で呆気に取られてました。スッキリするのはいいけど、自分の居場所が根刮ぎ消されていくよう。いい意味で正夢だったらいいのですが。)
[二人の男は昨日関連か。不明の小母さんは昨日の同伴者か。脅威に感じていたいのか。根こそぎにされそうな?]

Kosho-2 ← 陳 舜臣作『漢古印縁起』 (中公文庫1989) 「蘇州唐寅の「日本早春図」、寧波の豪商范家に伝わる漢代古銅印をめぐる秘話、桃剣・李剣にまつわる話、古陶磁の破片をはめこんだ壁の謎、敦煌で見出された多聞天踏魔像、蘇州の艶絵「夜叉図」―ひたむきに古美術品を追う蒐集家が掘り当てた名品とその転変が秘める数奇な物語6話」

 陳 舜臣作の『漢古印縁起』を読了した。ほとんど車中での待機中に。ほんの少しを残し、帰宅して寝入る前に。父の蔵書だろうか。骨董趣味は自分にはない。ないことはないが、鑑識眼などからっきしない。水墨画の類だと、善し悪しは別にして、好きな作品はある。が、骨とう品美術品に手を出す気はない。そうは言いつつ、こういったものでも、傾倒できるってことが羨ましく思えたりする。まあ、極めて凡庸な人間なのだ。だからこそ、こうして小説を読むわけである。吾輩の感想など論外として、以下にネットで見つかった関連文を載せておく:

漢古印縁起 - 決して失われない力 - シミルボン」「213【漢古印縁起】陳舜臣 読み返したい300冊の本

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