『わたしは不思議の環』とプルーストと
← 内庭の惨状。昨夜の風雨で。幸いというべきか、風は庭のほうに吹いたようで、生け垣の向う側を走る車道には、山茶花の花びらはあまり散ってない。ただ、カネのなる木が風雨に倒されてしまった。憐れで画像を載せる気になれない。
庭の入り口に鎮座している梅の木。枯れてしまったのか、ちらほらどころか、全く花が見えない。近所の梅の木は、梅は咲いたか~♪ と唄いたくなる咲きっぷりなのに。
今日も歯医者へ。予約していた時間通りに行ったら、待ち時間なく呼び込まれた。持参した本を1頁も読むことなかった(本はあれば安心ななのだ)。が、中に入ってからの待ち時間が長い。患者が入れ代わり立ち代わりだから? ま、気長に待つしかない。
ウラジーミル ナボコフ著の『ナボコフの文学講義 下』 (河出文庫)を昨夜から読んでいる。昨日は書店で本を買いこんできたのだが、まずは本書を読む。僅か三年前に読んだばかりだが、面白い。下巻の最初は、スティーブンソンの『ジキルとハイド』。ディケンズやフロベールなどに比べると、人気作ではあるが、ややポピュラー扱いされる作品。だが、ナボコフの思い入れはなかなか。同性愛。あるいは、中年男の少年i愛の物語が含意されているのではという深読みが印象的。
今は、プルーストの講義を読んでいるが、『失われた時を求めて』のすばらしさを再認識。前回、本書を読んだときは、中途だったが、今回は『失われた…』の全体を読んでの再読なので、感慨も一入である。
プルーストの入れ子のような文章。たまたま今読んでいるダグラス・ホフスタッター 著『わたしは不思議の環』が一つの山場を迎えていて、中でも無限後退や自己言及の分析が何処かプルーストの表現手法と関連するようで面白い。
というか、そろそろ取り掛からないといけない。体力のあるうちに。
← ダグラス・ホフスタッター 著『わたしは不思議の環』 (片桐恭弘/寺西のぶ子 訳 白揚社)「認知科学の大家でありベストセラー作家でもある著者が、自身の知見と経験をすべて注いだ新たなる知の金字塔。これぞ本物の読書体験!と言えること間違いなしの、知的な歓びが詰まった一冊」
ダグラス・ホフスタッター 著『わたしは不思議の環』を読み続けている。なかなかの本。数学や論理の世界の奥深さを数学の門外漢にも諄々と諭すように手招きしてくれる。読み始めて2週間余りか。未だ4合目か。既に胸突き八丁。ゼエゼエ。今月中の登頂……読了は厳しいか。
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