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2020/02/20

「生誕110年 中島敦展」へ

Atusi ← 【企画展】「生誕110年 中島敦展」(高志の国文学館)「中島敦の生誕110年を機に行う本展では、中島の短くも起伏に富んだ人生を「旅」と捉え、県立神奈川近代文学館で開催された特別展「中島敦展 魅せられた旅人の短い生涯」を再構成して紹介」

 雨の心配があったし、帰りには買い物もしたかったので、車で外出。 中路亜敦展とあっては、観ないわけにいかない。高校の教科書で中島敦を知った。孤高の作家。夭逝。中島敦は、日本ではカフカを早くに評価し、スティーブンソンと交流した。先日、本を買いだめしたのに、図録や中島敦の本など、また何冊も買ってしまった。

竜の棲み処
 我輩は、巨大な竜の存在が(少なくとも中国などで)古来より信じられてきたことには、一定の根拠があったからだと思っている。雷鳴轟く嵐の夜などに、逆巻く暗雲を引き裂く稲光り。それは天の闇に蠢く無辺大の竜以外の何者だろう。太く長い胴体を被う銀鱗の煌めきは、竜の片鱗は地を這う虫ケラたる我々をへいげいする神の遣いでなくて何なのか。
 では、巨大な竜の存在を証しする根拠……証拠……痕跡とは何なのか。それは(賢明なる諸氏の既に察しているように)恐竜の骨、骨格の数々である。中国では、近年、特に改革解放以後、恐竜の化石の発見発掘が盛んになっている。中国内外の研究者たちが殺到し、恐竜研究の急展開に繋がっている。恐竜と鳥類との関連などの解明は、その成果の一端に他ならない(「世紀の大発見を成し遂げた中国の恐竜ヲタ博士 中国で続々と出土する「恐竜の常識を覆す化石」(1-5) JBpress(Japan Business Press)」など参照)。
 ただ、忘れてならないのは、すくなからぬ恐竜の骨は、外国人の立ち入る以前から知られていた。それも、近代になってからではなく、数千年も昔から。言うまでもなく、骨の正体などは分からなかった。恐竜のことなど知る由もない。しかし、中国奥地では、現に尋常一様でない巨大な骨(化石)が、地上に散在していた。これは、竜だ。天を徘徊する竜の骨でなくて何なのか。
 不思議なのは、竜は嵐の夜、雷鳴と共にしか現れない。人間には妖しく蠢く銀鱗の煌めきしか見せない。全体の姿を昼間には現さない。日中は何処に姿を隠しているのか。
 が、中国のある小数民族(ミャオ族)らは、竜の謎の住み処を古来より言い伝えてきた。まさに、巨大な竜が棲息するに相応しい住み処。それは、地底の窖、秋芳洞が霞んでしまうような巨大な洞窟である。東京ドーム数個ほどの地下の洞窟群が中国の奥地にある。昼間は巨大な洞窟でなりを潜め、嵐の夜に天海で交合の狂喜を演じるのだ(「中国のミャオティン洞窟はどこ?ミャオ族が龍の巣と呼ぶ理由とは? - せんろぐ情報」など参照)。
……お話、終了!

[本稿は、今読んでいるディケンズの『荒涼館』に竜が登場したので、つい先日、ミャオティン洞窟の特集をBS番組で観たこともあり、予てより抱いていた話をメモってみた。]

Kosi ← 「高志の国文学館」館内もだけど、庭が素敵。隣には我輩が一生入れない、お洒落なレストラン。「富山は、万葉歌人・大伴家持が223首もの歌を詠んだ越中万葉ゆかりの地。高志の国文学館は、堀田善衞や源氏鶏太、角川源義富山県ゆかりの作家や作品の魅力を幅広く発信し、誰もが気軽に「ふるさと文学」に親しみ、学ぶことができるとともに、新たな創作への刺激ともなる場として開館」

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