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2020/02/24

買い換えるか粘るか それが問題だ

 今日は晴れ。気温12か13度。洗濯日和。今年初めて外干し。うれしい! 気分がよくて、午後、ちょっと庭先のコンポストに生ごみなどを捨てに行った際、つい、落ち葉拾いを始めてしまった。一昨日の風雨で木の葉が舞って、茶の間から眺めても気になる。
 始め出したら止まらなくて、部屋着のままで一時間余り庭仕事。まだまだやることが多いのだが、この頃、明けの日の疲れ具合がひどいのと、読書に生活の比重を重く置いているので、積読が増えていることもあり、外仕事がおろそかになりがちだ。

 我が愛車、新車で買って10年目。買い換えるか、粘るか、それが問題だ。
 千葉の新型肺炎感染の女性が富山を観光 バスツアー運転手など濃厚接触者を検査。翌日、関係者の検査結果、陰性だったとか。

 このところ、台所の流し(瞬間湯沸かし器)シャワーが習いになっている。風呂場のシャワー、ギリギリ使用可能ではあるのだが。

 銀行。使わない口座は、維持手数料を請求されるかも。東京銀行の口座が放置のままのはず。通帳行方不明。預金はない(か、極小)。後に三菱銀行と合併(ないしは吸収された)。所謂休眠口座。
 そういえば、クレジット(キャッシュ)カードも何枚も持ってる。昔、懲りたので、使わない。キャッシュ派。カードも使わなくても、維持費、取られてる?

 ディケンズ 作の『荒涼館 (二)』(佐々木 徹訳 岩波文庫)に突入している。
 昨日、車中での待機中に110頁ほど読んだ。ゴーゴリやゴンチャロフ、ドストエフスキーを思わせるユーモラスな叙述とシリアスな叙述が混在してる。生真面目一辺倒じゃない。力量を感じさせる。
 
 ウラジーミル ナボコフにしてもだが、ミシェル ウエルベックなど最先端の文学作品で欠けているものがあるとすれば、それはユーモアのセンス。現況認識がシビアーなのは理解できる。楽観など論外だろう。だから、せいぜいシニカルな表現に止まるのも無理からぬとは思う。作品の内容がますます陰惨になりがち。
 現実はシビアーさと単調さと滑稽(コミカル)とが同時に並存している。貧富の格差の極端な拡大。民族や宗教、宗派対立の激化。利害の剥き出しの相克などなど。厳しいからこそユーモア感覚がゆとり……己らを俯瞰する認識が必要だし、現実の複雑さ重さ軽さと見合う表現が可能になるのだと思う。

 それにしても登場人物の名前がなかなか頭に入らない。既に二巻目も半ばだというのに。記憶力の減退がひどい。

 それはそれとして、そろそろ実作に取り掛からないと。今年も既に2か月が過ぎようとしている。何処かで踏ん切りをつけないといけない。

 恋。気になる人がいる。

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