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2020/02/19

その瞬間を垣間見る

Island ← 雪の原にポツンと小島……。17日の夜半過ぎ、18日の未明に降り出した雪は、朝方には富山をすっかり雪景色に変えててしまった。凍間の積雪は12センチほど。今回は15センチ余りか。幸い、18日の日中は気温が5度ほどになり、陽光の恵まれる場所の雪はみるみる融けてくれる。…逆に日陰だと吹き抜ける風が強かったりすると、融けづらい。屋根からの落雪は今日19日の晴れを以てしても消すことはできない。

 今日も歯医者さん。まだ先は長い。来週も治療は続く。
 今日は昨日の雪模様とは打って変わって晴れ。外出日和。だが、午前は歯医者、お昼は洗濯を二度、回覧板手配、そして何と言っても昨日の徹夜仕事の疲れをひたすら抜くことに徹した。例によって読書に集中できるようになるのは夕方五時過ぎ。情けない体だ。

Hentai ← 会田 誠 著『青春と変態』 (ちくま文庫)「著者の芸術活動の最初期にありながら、会田哲学、セオリー、善悪、聖と俗の逆説、執拗なまでの観察力と巧みな描写技法など、天性の画家ならではの表現が既に完成された小説であり、確信犯の犯行声明ならぬ、美術家・会田誠の制作のプロットであり予告であった」とか。

 会田 誠 作の『青春と変態』を車中での待機中に読んだ。
 会田 誠というと、山口晃と双璧を為す天才アーティスト。特にエロに傾斜している特異な作家。溢れる才能を持て余しているようにも感じる。そうした才能の行き場を時に小説という創作に向ける。本書は若き日の会田の、まさに若書きの作品。女子トイレでの覗き趣味の苦闘ぶりが前半の山場。興味深いのは、現に絶好の場面を垣間見つつも勃起はせず、従って自慰行為にも至らない。何処か観察者たる資質が示されているのか。憧れの彼女の放尿や脱糞シーンを目撃し、一層彼女に親しみを持つ。さて、後半は吾輩にはありがちな青春小説に感じた(と言いつつ、ありがちな青春小説ということでどんな作品も思い浮かばないが)。
 女子トイレ覗きに執心する変態ぶりを喧伝しているが、会田誠の資質の謎を解く鍵に至るほど、傑出した作品とは言い難い。

Nabo ← ウラジーミル・ナボコフ 著『ナボコフの文学講義 下』(野島 秀勝 訳 河出文庫 )「世界文学を代表する作家にして、小説読みの達人によるスリリングな文学講義録。下巻には、ジョイス「ユリシーズ」、カフカ「変身」ほか、スティーヴンソン、プルースト作品の講義を収録」

 ウラジーミル・ナボコフ 著の『ナボコフの文学講義 下』を一昨日、読了。上巻共々これが講義なのかと驚くような面白さ。作品からの引用も多く、その分析の鋭さも併せ一個の小説のように楽しく読めてしまった。

 ナボコフの文学論を端的に知りたいなら、上巻の「良き読者と良き作家」や、とりわけ下巻の「文学芸術と常識」を読むがいい。その(吾輩が思うところの)真髄は、以下の言にある。「天才の霊感には三番目の要素が加わる。すなわち過去と現在と、そして未来(自分の書く本)が、一瞬のきらめきのなかに合体する」として:

(前略)かくて時間のまったき環が完了するのが知覚される、ということは時間はもはや存在しないといっても同じだ。それは全宇宙がわが身に入ってきて、自分がまるごと周囲の宇宙のなかに溶け入ってゆく、そういう結合した感動にほかならない。自我(エゴ)の牢獄の壁が突如として崩れ、非・我(ノンエゴ)が外から囚人を救出しようとなだれ込んでくる、そういう感動なのだ――そのとき、すでに囚人はひろびろとした世界で嬉々として踊っている。

 作家はその瞬間を描きたいがゆえに苦闘するのだし、苦闘に値する瞬間であり感動なのだろう。そして以後、ナボコフが作家として活躍していくのは周知の事実だ。

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