お洒落なコインランドリー登場
← ロバート・カレン著『子供たちは森に消えた』( 広瀬順弘訳 ハヤカワ文庫NF )「八年間に五十人の少年少女を手にかけた異常殺人者の素顔を暴く、犯罪心理ノンフィクション」
冬の洗濯は憂鬱。晴れていても外には干せない。暖冬といっても、洗濯物の湿気はただ冷えるばかり。部屋干し。ヒーターからの温風が頼り。何度も洗濯物の向きなどを変える。半日を要する。なんとかならんか。
コインランドリーを使ったらどうか、というコメントを頂いた。それに対し吾輩は、以下のように答えた:
毛布などの時は使います。ランドリーで、終了を待ちながら本を読んだり。ただ、近所の店は小さい。台数が少ない。且つ、故障が多い。つまり、空きが少い。正直、行くのが面倒なのと、女性の利用が多く、我輩が粘っていると、不審者を見る視線を感じるので、切羽詰まらないと行きません。
富山には、お洒落なコインランドリーがある(富山だけかは知らないが)。それは通常のコインランドリールームとお洒落なカフェが同じ建物の中にある。その建物自体、お洒落なので、一体何のお店なのかとつい見直してしまう。カフェといっても、店員がいるようには見えない。自動販売機があって、テーブルとイスがあるだけなのかもしれない(吾輩の家からは離れているので、入ったことがない):「セルフランドリー リップル 株式会社SHIMARS(シマース)」
車中での待機中には、相変わらずロバート・カレン著の『子供たちは森に消えた』を読んでいる。
何十人にも渡る被害者がいるのに、乏しいとはいえ証拠も目撃者もいるのに、犯人は異常性欲者(少女らを殺すことでのみ性的快感を覚える)で、一人だけと想定されるのに、何年も遅々として進まない捜査。一般の警官(民間)には多々問題はあるものの、熱意ある捜査官らも。血液型の確定が不確か。精液という証拠も頼りにならない。捜査を阻むソ連(ロシア)の、性的犯罪者は存在しないという建前。多数の少年少女の悲惨な被害者がいても、報道は国が認める僅かな情報を伝えるだけ。劣悪な社会は、親子関係が壊れやすい。
生活に追われ、子供に目が行き届かない。それにしても、捜査の進展の遅さにが歯痒い。
420頁の本書の280頁辺りでようやく犯人に。その前にも、ニアミスしていたのだが、血液型鑑定など、いい加減なデータで見逃してしまっていた。
6年にも渡る捜査。何度も何10回も犯人に煮え湯を浴びせられ、捜査陣は神経を磨り減らし心臓がおかしくなったり。執念を燃やす捜査官ほど辛いだろうなー。
逮捕してからも、すんなりとは行かなかった。最初は手柄(出世)を期待する偉い奴が取り調べに当たったが、当たり障りのない供述しか得られない。弁護士も、国家に忠実なだけて、容疑者に信頼されず、去ってしまう(以後、弁護士なし)拘留期限の切れる前日になって、精神科医が。彼は、捜査に執念を燃やしてきたデカが犯行の惨状などから犯人像を描き出した。旧体制のソ連にあって、建前に囚われない精神医学を探究してきた。彼の分析はまさに的を射ていた。その彼に、犯人と面会させ、自白を引き出そうというのだ。
精神科医の、容疑者の話を聞く姿勢が自白を引き出す。だが、自白は捜査陣に衝撃をもたらした。なんと、捜査陣が把握していた容疑者の最初の犯行の前に、犯人が連続猟奇殺人を犯していく切っ掛けとなった犯行があるというのだ。
今日は、ホームセンターへ。庭仕事のための資材を買いに。高枝切鋏、防草シート、シート止め金具、溝から浚った土砂や水草のためのコンポスト、そして人工芝。高枝鋏は、今のがバネが弛んでカットしづらくなったので。新たに。帰郷して早くも四代(台)目。いかに頻繁に使ってるか、分かろうというもの(使い方や保管法が雑なのか)。溝浚い用コンポストは、今まで他の雑草と混ぜ勝ちだったのを改めて、専用に。溝には、洗剤混じりの排水や、タバコなどの有害物質が含まれるので、安全のため、分けることに。
それにしても、防草シートはともかく人工芝とは。
帰郷して、庭仕事に忙殺されてきた。落ち葉拾いや、枝葉の剪定など。草むしりも。草むしり作業の負担を少しでも軽くするため、庭にはかなり防草シートを張った。初めの数年は除草剤も。これが高い。まともに撒いたら、一万二万円じゃ足りない。しかも、年に2回。樹木譜などへの悪影響も怖い。そこで、地面に砂利を撒くことにした。歩けば足音がして、防犯にもなる。が、砂利は、歩けば(雨が降る度に)沈んでいく。そこで納屋や押し入れにあるブルーシートや古いカーペットなど、敷けるものは何でも敷いた。その上に砂利を撒いた。
多少は防草にはなった。が、雑草の生命力は凄い。砂利の隙間を生えてくる。が、雑草より大変なこと、想定外の事態が待っていた。少し考えたら分かるのだが、落ち葉に苦しめられることになったのだ。敷き詰めた砂利道に落ち葉。箒で掃けない。砂利の海に散らばる落ち葉は、箒でかき集めることが出来ず、1枚1枚手で拾い集める敷かないのだ。
全く予想外の難儀となった。落ち葉拾い作業の面倒なこと。除草剤や防草シート、砂利と、試行錯誤した挙げ句、砂利を脇に寄せて、人工芝を道のように長々と張る。
何ゆえ人工芝なのか。防草シートの高級品や家の床に張るシートでいいじゃないか。そうなのだ。これは、単純にカネの問題。床に張るシートより人工芝のほうが安い。20メートルは使うので、少しでも安いほうがいい。
交響曲で、シンバルやトライアングルなど、出番が少なそう。ド素人の我輩には、シンバルの演奏の上手さなんて分からないな。…なんて呟いたら、いろいろなコメントを頂いた。
「出番が少ないからこそ大変なのよねぇ…肝心の一発をやり損ねたら退場もんだから(笑) 曲にもよるけれど、打楽器奏者ってオケの中じゃ色んな種類の叩きものを一人何役もする」とか。
あるいは、「チャイコフスキーの序曲「1812」には大砲が入」るとも。
さらに、「ラヴェルのボレロになればスネアは一貫して美しい精巧なリズムを延々叩き続けなばならない。シンバル一発、ウィンドチャイムのシャララひとつで聞く側の印象は激変する。かなりのキモと強い好奇心、音楽を楽しむ余裕の心意気がなければ、あのセクションでプロ活動など出来ない」などとも。
「東京へ」という立派なポスターを見掛けるように。東京オリンピックパラリンピックの広告。昔はともかく、今回のオリパラリンピックは、日本というより、東京だけの催しに感じられる。繁栄は東京だけ。予算を潤沢過ぎるほど使っても、地方は置き去り。格差が拡大の一途を辿る現今の日本を見ると、白けるばかり。オリパラリンピックには関心がないわけじゃない。だから、何処かの異邦で開催されている、日本人選手も出場するオリパラリンピックをテレビ観戦する。
吾輩も含め、多くの年配者は、1964当時の東京も日本も熱気活気があったという。日本が再興復活へ一丸となっている、そのシンボルが東京オリンピック。首都高速、東京タワー、新幹線……。今は巨大事業は大手ゼネコンの延命策に留まっている。奴等だけが儲ける。最早、巨大事業を打ち上げ花火式に放てばいい時代じゃない。地方が各々に活路を見出ださなければならない。エネルギー政策も地産地消。オリンピックパラリンピックだって、日本全国で分散開催すればよかったんだ。
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