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2019/12/04

入院中に古典に親しむ

Koten ← 黒澤 弘光/竹内 薫著『サイエンス・ライターが古文のプロに聞く こんなに深い日本の古典』(ちくま文庫)「サイエンス作家竹内薫の母校では文系理系を問わず生徒達を魅了する古典授業があった。行間や一語一句の深みに迫るその読み方を、恩師に今改めて聞く」

 本日は入院。内視鏡により大腸のポリープ切除(電気で焼却)。この6月、大きなポリープは取ったが、低血圧となり、小さなポリープは残して止めた。今回、残りの措置。先程(多分)無事に終了。本書『こんなに深い日本の古典』持参は病院での待ち時間のため。かなり待たされたので、夕方までに380頁のうち180頁読んだ。

 四人部屋。他の三人は、ベッドを自力では離れがたいので、大概のことは我慢。でも、ナースを含め、辺りを気遣うふうがない。声が大きい。見舞い客のある、うるさい80歳台の似た者同士で同室にすればと思う。

 夜半。点滴、とっくに切れている。イビキは、代わる代わる。冷めたお粥や味噌汁も、空腹には御馳走です。
 日中、売店に行きたかった。けど、そろそろ治療が始まりますので部屋を離れないで……結局、3時間待たされた。あんまりだ。売店への往復に10分も要しないのに。
 苦しい内視鏡手術も終わりに近付いてホッとしていたら、突然、医師が新人の研修のため5分ほど時間を下さいと。考える余裕もなく、声を出せずにいたら、勝手に了解とばかりに研修始めた。
 点滴、1本目、切れた際、ナースが来そうにないので、点滴台を押してステーションへ。患者としては、液が切れたら、空気が入りそうで怖いのだ。ナースが云うには、切れたら行きますから大丈夫ですよって。不安なんだよ。さて、夜中の2時前、尿意で目覚めた。すると、2本目も切れていた。腕の管の差し込んだ辺りを観ると、液が切れてかなり経っているのか、管が数十センチほど赤くなっている。トイレから戻りベッドへ。そろそろ来るかなと待つも来ず。ナースコールは大袈裟かなと、また点滴台を押してステーションへ。
 我輩の姿を目にしたナースは、事情を察したのか、部屋に戻ってて下さい、すぐ処置しますから、って。その場でやってくれればいいのにと思いつつ大人しく部屋へ。が、やって来たのは十分も経ってから。
 我輩、この数年、(以前書いた事情で)ベッドで寝ていない。普段はリクライニングチェア。ベッドで寝るのは辛くなっている。あくまでリクライニングであって、完全に真っ直ぐにはならない。なので、ベッドに横たわると、背中や腰が引き延ばされるようで辛いのだ。思い出した! 手術の際も、手術台に横になっただけで、もう腰が痛くなった。足を伸ばして下さいなんて指示されると、それだけで辛くなる!
 やはり、腰が痛い。いかに普段、不自然な格好で寝ているかが分かる。

Book6251_20191204204701 ← 田中祐理子 著『病む、生きる、身体の歴史 -近代病理学の哲学-』(青土社 )「科学者たちは顕微鏡のなかの小さな生きものを、どのように病原菌としてとらえたのか。近代は病いについていかなる言葉で語ってきたか。微生物の発見。ワインの味。臨床医学の誕生。エイズとその隠喩。「らい」と戦後日本。疲弊と回復――。病いとその表象の向こう側にある、生きているわたしたちの歴史」

 田中祐理子 著の『病む、生きる、身体の歴史 -近代病理学の哲学-』を読了した。

 医学や生理学、生物学プロパーの本(一般向けサイエンス本)は読んできたが、哲学の専門家の本は久しぶりかも。
 若いころは哲学思想書に軸足を置いていたが、30歳頃から、科学の発展のすさまじさを感じ、哲学から離れ、宇宙論や生物学など自然科学の書に傾いていった。専門科学の進展の前に哲学の無力を感じた……。同時に自分の知的能力や資質に疑問を感じてきたからのほうが大きい。
 それでもあきらめの悪い自分は、牛歩であろうと、サイエンス本を読むことはやめられなかった。が、この数年、科学プロパーの本もいいが、哲学の重要さや意義を改めて考えるようにもなってきた。
 例えば、病原体の発見。魔法のような特効薬の開発。また新たな病原体の発見と特効薬。人類はその繰り返しの果てに、「人類を苦しませた病いは消えたが、今日の私たちはまた違った病いの数々に苦しんでいる。」
 パストゥールやコッホらに始まる病原体との闘い。生命の探求は遺伝子という分子のレベルへと跳躍した。医学や生理学だけじゃなく、物理学や化学の合力の後には、どんな視野が広がっているのか。物質的な次元で事物の仕組みや運動、変化をとらえる技術や思考法が進展すると同時に、生命をどうとらえるかという問いの設定それ自体も激動してきている。「病原菌」「病原体」という概念にしても、そこには深く不確定性や盲点の潜む空間が残っているかもしれない。
 「病気の向こう側には、まったく別の「生きているもの」の世界があるのかもしれない。このような世界に対しては、私たちには決して容易に「理解した」と言うことはできない。私たちの学問や知識とは、そうであってなお、人間が「生きていく」ことを模索しつづける、努力と願いの営みだと思う。それゆえに、それは終わりがない。」

 黒澤 弘光/竹内 薫著の『こんなに深い日本の古典』を日赤に一泊の入院している間に読了した。
 バリバリのサイエンスライター竹内氏が、恩師であり長年古文の教師を勤めた黒澤氏に、「伊勢物語」「大和物語」「平家物語」「源氏物語」「万葉集」のこれはという場面を巡って質疑応答。それぞれに実に興味深い講義。「万葉集」が典型的だが、古文を読むには、時代背景を単に註釈だけじゃなく、想像力を目一杯働かせないといけない。例えば旅にしても、昔は地図がない。庶民には便りを出すすべがない。

 月の出ない闇夜と云えば、恐怖で身動きできない、だけどジッとしていることも出来ず無闇に走り出す、そんな漆黒の海。
 旅。地図は勿論、まともな履き物がない。破傷風の恐怖は、戦後になっても知っていた。ろくな食べものもない。水もそこらの生水。貴族は云うまでもなく、昔の役人は今以上に庶民を虐げ搾り取る。山上憶良は、賄賂を受け取らないし、逆に農民を理解し共感した。貧乏に苦しみ病んでしまうのは当然。
 暇の徒然にと手にした本だけど、古典教育がないがしろにされている現下の高校生らにも薦めたい。

 万葉集。山上憶良を再認識。有名な貧窮問答歌は、貧(若く貧しい山上憶良と思われる)が窮(最貧の農民)に生活ぶりを問答している歌。何より大事なのは、庶民の生活実態を中央の貴族・支配者連中に告発する性格の問答歌。上司に指弾されるのを覚悟の行動を山上憶良が行っていたのだ。

 大伴旅人の自らの浅慮で妻を失なわせた悲痛。その心情を山上憶良が切々たる歌に仕立てた。
 万葉集の中に熊凝(くまごり)なる相撲取りが。スカウトされ、中央へ向かう旅の途上で病死。当時の旅は苛酷。大伴旅人の妻も、左遷されたと自暴自棄になり酒に溺れる旅人を心配して、中央から九州へ。その旅の苛酷さに、旅人の元に辿り着いて間もなく亡くなった。その旅人の心情を山上憶良が歌にした。山上憶良の正義感、勇気、共感力。現下の役人に爪の垢でも煎じて呑ませたい!
 源氏物語の項、桐壺更衣を巡るあれこれ、さすがに面白い。

Byouto ← 病棟の談話室から眼下を臨む。 眺めはいい。普段は走行中に横目で見るだけの光景を高みの見物。血液検査などが良好であれば退院のはず。

 今朝は病室、至って静か。でも、もう五月蝿くても構わない。だって、持参した本、読んじゃったもん。
 請求書、見るの怖い。前回は卒倒しそうになった。手術したこと計算に入ってなくて。今回は、心の準備できてる。
 退院。うれしい。雨、辛い。自転車なので、傘、買わないと。

 病院の売店、7時30分から。食事の配膳も同時刻。迷わず売店へ。ガーン、ない! 本が1冊もない! 今月から違う会社が本を持ってくることに。いつ持ってくるかは分からない。あったら。並ぶのは週刊紙など雑誌だけ。せっかくなので、週刊紙のヌード写真だけチラッと覗いてきた。持参した本、自制して昨夜のうちの読了は堪えた。でも、あと20頁。風前之灯。近くのコンビニまで買いに行くか? でもろくな本はない。我慢するか。薬が切れた気分だ。あとは、スマホ頼み。だが、電池が切れそう。

 帰宅したらびっくり。エアコン、点けっ放し。ショックだ。家を出る際、あれほどチェックしたのに。

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