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2019/12/14

吉川訳「失われた時を求めて」読了

Toki2_20191214204901  ← プルースト 作『失われた時を求めて 14  見出された時II』(吉川 一義訳 岩波文庫)「最も正確で読みやすい本訳,十年をかけて完結.全巻の人名・地名・作品名を網羅した索引を付す」

  プルースト 作の『失われた時を求めて 14  見出された時II』を読了した。

 余談となるが、本文の末尾にて呼び鈴が出てくる。何かの符合じゃないが、我が家のインターフォンも故障で何処に修理を依頼すればいいか迷っているところ(というか、面倒で放置中)。老いを感じて、何かを書く覚悟を持つ。老いとは、一寸先は健康も寿命も闇であり、そして時間も残り少ないと自覚すること。

 とうとう全巻が出て、全巻ともに読了した。第一巻は、2013年に読みだしている。訳業は9年のようだが、吾輩は足掛け6年余りで読んだことになる。

 せっかくなので、「マルセル・プルースト - Wikipedia」から気になる点をメモしてみた。
 プルースト(1871年 - 1922年) 「失われた時を求めて」(1913年から1927年)「プルーストは外部の騒音を遮るため、コルク張りにした部屋に閉じこもって書き続け、42歳となった1913年11月に第1篇『スワン家のほうへ』を自費出版した」「47歳となる1918年頃に発話障害と顔面麻痺に時々襲われながらも」「第5篇の途中以降は未定稿の状態であったが、弟ロベール(フランス語版)や批評家ジャック・リヴィエールらが遺稿を整理して刊行を引継ぎ、最後の第7篇を1927年に刊行して出版完結」

 以前、プルーストの評論に関連して以下のように書いた:

 思うに、誰の心にも琴線があるのだと思う。また、琴線に触れる思い出があり、忘れられない曲が折に触れて奏でられるのだろうと思う。そして、ことによったら、その表現の形や手段は、音楽、彫刻、舞踏、絵画、ボランティア、小説、詩などと、違うのだろうとしても、さまざまな形でその人の琴線に鳴る響きを表に示さんと試みるのだろう。
 けれど、人は時の流れの中で大切な何かを忘れてしまう。心の筋肉が緩んでしまう。琴線を掻き鳴らす何か、そして奏でられる何かを、己の中で感じているだけというのではなく、もう一度、心に蘇らせ、人の眼に触れえる形に象形化するというのは、感じているだけというのとはまるで違う次元の営みとなる。
 そこには苦労を愛惜するような、その労苦がむしろ愉悦であるような、己の肉体を消耗させ燃え尽きさせても何かに駆られる、その<何か>が必要なのだ。
 命とか意志とか創造力と、分かったようでいて、その実、何も分からない言葉で告げるしかない、創造の泉への道。
 小生の如き凡人は、せめてプルーストを読んで、その秘蹟の熱さと繊細さを感じたいものである。 

 昼前から雨が降りだしてきた。朝の予報では3時前後だったのに。予定が狂った。昼食後、買い物。ガスを入れ庭仕事。その途中に雨が降り始め、已む無く作業中止、部屋に入って一服後、読書……のはずだったのだ。幸い、洗濯は早朝に済ませ、昼までに洗濯物は取り込んだ。神社の初穂料の封筒集めも(在宅分は)済ませた。雨だし、自転車での買い物や久しぶりの銭湯は断念。庭仕事で体を動かすのも止め。今日は読書と居眠りだな。

 昨夜(12日)、FMで沢田研二の特集があった。大人の歌、大人の世界。吾輩とはまるで違う世界のことだけど、じっくり聴き入った。
 昨夜聞いたのは、沢田研二の「24時間のバラード」「アメリカン・バラエティ」 「赤と黒」「雨だれの晩歌」「居酒屋」「薔薇の門」「LOVE(抱きしめたい)」でした。初めて聴いた歌も。
 沢田研二さん 往時の姿が浮かびます。でも、ラジオで歌をじっくり聞いて、こんな素晴らしい歌手なんだって感激しました。YouTubeならいろいろ視聴できるかな。

Budo  ← ジョン・スタインベック/著『怒りの葡萄〔上〕』(伏見威蕃/訳 新潮文庫)「米国オクラホマ州を激しい砂嵐が襲い、先祖が血と汗で開拓した農地は耕作不可能となった。大銀行に土地を奪われた農民たちは、トラックに家財を積み、故郷を捨てて、“乳と蜜が流れる”新天地カリフォルニアを目指したが……。」

 ジョン・スタインベック作の『怒りの葡萄〔上〕』を読み始めた。「ハツカネズミと人間」を読んで、スタインベック再認識。数十年ぶりの再読。家に単行本(何かの全集の一冊)があったはずなのに、見つからない。仕方ない。文庫で。昔は、大久保康雄さんの訳だったっけ。大久保版で再読したかったなー。

 来年の大河ドラマの主人公は、明智光秀だとか。主君を闇討ちし、秀吉に殺された光秀は、当然ながら(勝者に描かれる)歴史には、まともには扱われないし、彼を証し立てる資料も掻き消されていったのだろう。歴史家らの努力にも関わらず、新しく目覚ましい新事実が明らかになったとも聞いていない(あるいは何か出た?)。ということは、作家らの想像を膨らませた光秀像になるしかないということか。ドラマとして面白ければいい……のか。
 歴史上の人物なのに。どうせ虚像を作り上げるのなら、今は完全に否定されている、光秀のちの天海(家康の宗教上の師であり知恵袋)という話にして欲しい。スケールが大きくて楽しそうだし、家康なら深謀遠慮でそんなことはやっちゃいそうだしね。

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