« 歩きと路面電車でバイクの引き取り | トップページ | 雨晴海岸へ石を拾いに »

2019/10/22

祭り…宴の灯り遥かに

Soutine ← シャイム・スーティン(Chaïm Soutine)作「人物と風景」 (1918/1919)  「当時パリに在住していた藤田嗣治とも親交を持った」とか(「シャイム・スーティン - Wikipedia

 通院している病院へ。静か。駐車場に車がない。昼休みに近いから? 入り口に立った。休診の看板(表示)はない。が、明らかにクローズしてる。休み? なぜ? 祭日? 患者に休みはないぞ! と、病院から帰って来て呟いた。が、後になって、今日は祭日と知った。
 今日は病院も休み。午後4時から暗くなるまで庭仕事。パイプ車庫の屋根(幌)が過日の台風で破れた。シートを買ってきて、屋根に被せた。一人でやると脚立に昇ったり、なかなか大変。あと、先日伐採した枝葉を集めたり、庭の防草シートの補修など。やることが一杯。

 サイエンスzeroは、フジツボ特集。種類が千種類もあるとか。アクセサリーにする人も。食べると旨い(酒の肴にもなる)とか。嘗ては漁師や漁船の敵。汚染動物。岩場は勿論、船体や網、錨などに貼り付く。食用になるということで、今では養殖も。張り付くと、剥がしづらい。逆に言うと、接着力が強い。ならばと、接着剤としての研究が。所用があって、録画は最後まで見ていない。後日、残りの場面も見てメモしたい。

川端康成随筆集』を昨日、読了した。
 本書については、感想は不要だろう。川端の多様な面を知ってもらおうと編集。「禽獣」再読したくなった。
 本書については、読みながら随時、呟いてきた。たとえば、「「秋の野に鈴鳴らし行く人見えず」いろいろ趣きのある解釈はできそうである。川端康成の作品となれば、尚更。これは、ノーベル文学賞授賞の連絡のあった夜、川端が書斎に閉じ籠って、筆で紙に大きく書いたもの。言うまでもなく、「野に鈴」の「野」と「鈴」とで「ノオベル」になる、言葉遊び。 ← 川端の言葉のまま」などと。
 あるいは、「川端が頻りに言及するシャイム・スーティンって、どんな画家なのか、帰宅したら調べてみよう。それなりに、絵画芸術には親しんできたけど、未知の画家だよ」とも。
 その前には、「「伊豆の踊り子」を巡る一文が気になった。映画化されたこともあり、この小説で一躍有名人に。伊豆の踊り子の人と。作品中のあるくだりで、主客の有無が取り沙汰されたり、風景(自然)描写が足りなかったのではと悔やんだり、いやあれでよかったんだと納得したり。既に公表した作品の拙さにせきめんしたり、なのに、傑作と褒められ、悩んだり」なんて。
「円谷幸吉の遺書の全文が転載され、感想が書いてある。母上の作った食事がおいしゅうございました、など、素朴で飾らない。が、我輩は、「疲れきって走れません」の下りに胸を打たれた。家族など周りの期待の重さ。それ以上に、自衛隊(の上官)からの叱咤を嗅ぎ取ってしまう。イジメではなかろうが、1番でないと、隊にオメオメ帰れないプレッシャーはどれほどのものだったろう。今と当時とでは、期待の強さは雲泥の差があったろう」とも。

 食事時はテレビを観る。大概、録画で「CSI」。最近の日本のドラマ、若者相手。我輩は、埒外だな。大人が視聴するに耐えるドラマってないね。音楽番組も聞くに堪える番組は少ない。

 我輩は、オートバイで各地を巡った。走り抜けた。今でも不意に甦ってくる光景が幾つかある。それは、初めてのバイクでの帰省の途上で脇目で触れた。郷里まで千キロに満たないはずが、道を間違え、二千キロに。夏休みの始め。何処かの田舎道。山道。右下には渓流。すっかり夜は更けている。宿の当てなどない。
 闇の中から不意に明りらしきものが。近付いていくに従い、町……それとも村なのか……祭礼の提灯が点々と。祭りの前日か、それともあとなのか、人影は全くない。深い森の中に現れ出た町、そして灯りの列。なのに人気のない淋しさ。みんな何処へ行った? 蘇ってくるのは、ただそれだけの光景である。1分もない幻。そう、幻だったのかもしれない。直ぐに全ては闇に沈んだ。
 祭り…宴の後の妙に淋しい光景。束の間の夢でした。何があったわけではないし。
 何でもない、何があったわけでもない光景が折々浮かんでくるのは、なぜ? 多分、道を間違え、行けども行けども、何処を走っている道標に行き会うことがなく、心細かったからかな。あるいは、祭りという賑やかな場への憧れか。
 心細かったというなら、同じ道中、何故か来るはずのない箱根の峠に夜、迷い込んだ時のこと。夜だし、霧が濃く、頼りないヘッドライトの光では、曲がりくねる峠道を何ほども浮かび上がらせてはくれない。予定外の道なので、宿の宛もない。しかも、中古のバイクは、坂道をローギアでも、辛うじて登る。いつ、止まるか。
 道を間違えたという気付きもなく、気が付いたらとんでもない道を何処へともなく走っている……そう、キツネに騙された感覚でした。手書きの簡単な地図は用意したけど、バイクだと気軽には確かめられない。それにしても、道の間違えようは、酷すぎる。もしかしたら、帰省したくないという気持ちの為せるわざかな、とも。
 箱根の峠道の続き。ガス欠も真剣に心配しつつ、どれほど夜の濃霧の坂道をトロトロ登ったか、不意に闇と霧の中からボンヤリ滲むような光の暈。看板などが立ち並んでいる。中に宿の共通案内板が。当てずっぽうで電話。今と違って携帯があるはずもなく、どうやって電話したのか覚えていない。電話ボックスがあったのか。電話したら、宿泊、大丈夫だって!
 救われた思いで、その夜泊まった宿のこと、すっかり忘れた。日記に書いたはずだけど、当時の日記は燃やして棄てた。さて、一路富山へ。ところが!我輩、更に道を間違えた。富山へ向かうはずが、何故か静岡県の三島へ。三島の街中で間違えに気付いた。ようやく、北上。本来なら東京から17号線に沿って本州を横断するはずだったのだ。それが、箱根の山を越えて三島だなんて。当時の日記が残ってたらなー。多分、親しい友も彼女も居なかったし、親に話すはずはないから、胸中を曝す相手は日記だけ。詳細に書き綴っていたはず。
 
 昨日今日と、靴下の爪先に穴が開いてボツに。今日ダメになったのは、30年以上昔の奴。デザインが我輩が見ても昭和風。箪笥の奥に埋まっていた。でも、昨日のはまだ買って数年。せめて、10年は持ってほしい。100円ショップで買ったからって、寿命の短さの理由にならん。
 靴下には、最後の奉仕として、雑巾になっていただく。

249319 ← 『川端康成随筆集』(川西政明 編 岩波文庫)「ノーベル賞講演「美しい日本の私」をはじめ,「あらゆる芸術の極意は,末期の眼」と述べた「末期の眼」,日々の素顔を映しだす連作エッセイ「落花流水」,横光利一等友人たちへの追悼など,川端康成(1899―1972)の珠玉の随筆31篇を収録」

 昨夜、働き方改革とやらで、ますます追い込まれる教師らの惨状を聴いた。荻上ちきのラジオ番組で。文科省あるいは政権は、先生方が社会的発言力を持つことを警戒している。先生だって労働者なのだが、特殊なのは勉強が仕事というのが、他の労働者とは違う。政権は先生らには、政治的発言をさせたくないのだろう。日々の学校法人業務に追われて、心身共に消耗させて、考える余力を無くさせている。政権の目論見は上手く行っている。代わりに苛め問題やクラブ活動に割く余力も痩せ細ったよね。
 ふと、学生運動華やかなりし時代を思い出す。当時の政権は、学生運動が過激化するのを警戒し、朝間山荘事件を劇場風に解決して、学生の内ゲバの凄惨さを喧伝し、都心にあった大学のキャンパスを郊外へ移転させて横の繋りを断ち切り、偏差値制度の導入で学生らの能力を数値化することで妙な不毛な序列化(お前はたかだか偏差値50の能力……可能性しかない)、つまりは自己評価に一喜一憂する日々をもたらした。学生らは、政治から脱落し、さらには社会から隔離されていった。関心は恋愛と音楽とスボーツと就職とに狭まった。人畜無害な羊の群れのような存在へ。

 最近、視角障害のある女性の間で、ネイルアートが流行りだしているとか(by NHKラジオ)。眼に障害があっても、ファッションは楽しみたい。ネイルアートしているのを褒められたらうれしいとも。あと、視覚障害者を示す白のスティックを持つのが嫌だとも。そのあとは、話を聴けなかった。

|

« 歩きと路面電車でバイクの引き取り | トップページ | 雨晴海岸へ石を拾いに »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

思い出話」カテゴリの記事

オートバイエッセイ・レポート」カテゴリの記事

恋愛・心と体」カテゴリの記事

読書メーター」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 歩きと路面電車でバイクの引き取り | トップページ | 雨晴海岸へ石を拾いに »