ノーベル賞は受賞したけど
← 今年は、数年ぶりにミカンが豊作。枝がしなるほどに、たわわ。台風が心配。柿はそれなりに。尤も、昨年は何故か全く不作だったので、多少でも生るだけ、ありがたいな。
我が家の庭、何故か蜘蛛の巣の張り方、半端ない。今頃、繁殖期なのか。うっかり庭を歩くと、我輩の頭などに蜘蛛の巣の糸に絡まれる。我輩は、餌じゃないぞ!
聴くところによると、夏じゃなく、今の時期が元気なんですね。確かに蜘蛛の図体が大きい。家の中に張るのだけはやめてほしい。
ノーベル賞受賞者。数だけだと断然アメリカ。しかし、人口比で見るとスイスが世界一(人種別だと、ユダヤ人が圧倒的かな)。公教育の充実など、人材育成にカネを惜しまない国柄。目先の結果を国が大学などに求めるのではなく、将来を見据えて息長く人を育て、基礎教育に予算を振り向ける。永世中立国として生き延びるため、目先の結果じゃなく、国家百年の計をしっかり立てている。日本の現状は、お粗末。大学に成果を競わせて予算を削って、疲弊していくばかり。お先真っ暗。
ノーベル賞に限らず、文化も経済も、つまりは総合力ですね。政府は国民を疲弊させ、大学などに目先の結果や利益ばかりを追わせる情けない施策ぶり。研究者に限らず有能で意欲のある若者は、日本を見限ってしまっているんでしょうね。
← 斎藤 美奈子 著 『日本の同時代小説』(岩波新書)「私たちが生きてきたこの50年,「大文字の文学の終焉」が言われる中,いかに小説は書き続けられてきたか?」
斎藤美奈子 著の『日本の同時代小説』を読了した。
著者の価値観、好悪がはっきりしているのがいい。明治などの私小説には手厳しい。時代が現代に近付くほど、書き手の年齢が若いほど(というより、著者の年齢に近いほどか)、親近感を以て批評する。明治などのへたれ文士だって苦悩していたと思うのだが。
グローバル化や特に小泉改革……規制緩和がいかに貧富の格差を生んだか、非正規雇用が増えたか、ブラック企業が増えたか、労働組合が疲弊したか、その結果として、全く明日の望みのない働き手が増えたか、現代作家たちの作品に露に反映している……らしい。テロや自暴自棄な蛮行。我輩は、ほとんど読んでないので、意見は控える。殺伐……。若い人たち、悶々としてるだけじゃあかんよ。
以下は、読んでいる最中のメモ書き:
あと2、30頁で読み終えるところで、かの3.11の震災そして原発事故をテーマの作家作品が批評されている。かの震災は、我輩にも少なからぬ影響をもたらした。直接の被害とかではない。もっと曖昧で自分でも未だに理解出来ずにいる、宙ぶらりんなもの。我輩は、学生時代を仙台で送った。学生時代以来の友人が数人。多少の途切れはあったが、長く付き合いが続いた。が、かの震災を契機に途切れた。誰かが被災したわけではない。ただ、音信が途絶えたのだ。
途絶えたは、正確な表現ではないかも。震災が、いろいろなことを真剣に見直す切っ掛けになったということかもしれない。友人の一人が震災後、仙台在住の畏友のところへ(畏友以外の仲間は我輩も含め皆、大学を卒業後、それぞれの居住地へ)。幸い最悪の事態は免れていた。友人がその畏友の住む町へ。我輩の胸に何かの感情が去来した。
何か羨望の念か、もしかしたら嫉妬に似たような、もやもやした気持ち。彼らは何を語り合ったのか。我輩が被災したら会いに来てくれるかな、という不安……とも違う。学生時代以来の我々の友人関係って何だったのか。友人らは、その気になれば東大だって行けるような秀才ばかり。学生時代も、卒業してからも、それぞれのアパートに集まっては、哲学や文学、音楽、芸術、政治に至るまで、酒を飲み交わしながら徹夜で語り合った。が、我輩は、小中高と、一貫して学業は並み。平均点を越えたら御の字だった。
彼等の中にあって(そう、我々だなんて、烏滸がましくて平気じゃ言えない)我輩は茫然とするばかり。折々思い付いたことをモゴモゴ呟くけど、軽く受け流されて、また彼等の談義が続いていく。我輩は、話の中身のどれほどを理解していたものやら。睡眠障害を業病とする我輩は、起きている振りをするのが精一杯。秀才ばかりの彼等の中でも、仙台居住の畏友はずば抜けていた。畏友に会いに(見舞いに)行った友人と対等以上に語り合える貴重な兄貴分的存在。では翻って我輩は何?
そう、彼等の中にあって、凡庸の極みの我輩は、いったいどうして自分のようなものが、仲間で居られるのかフシギデならなかった。仲間なんかじゃない。金魚の糞以外じゃないか。被災した畏友を心配して、わざわざ遠くから会いに行く優れた彼。彼等の中には到底入れない。自分の居場所などない。そもそも仲間(モドキ)であったこと自体が何かの間違いだったのだ。しかし、本当のところ、何ゆえに彼等から離れた、交流を持てなくなったのかは、分からない。我輩は、勝手にあの津波に呑み込まれ沈んでしまったのだ。
← 『平家物語 全訳注〈3〉 (新版)』(杉本 圭三郎【訳】 講談社学術文庫) 「進撃する木曾義仲勢は一時は内通により敗れるも、あざやかな作戦で平家を倶利伽羅峠に打ち破る。平家は京、白河を焼き払い、「三種の神器」を持って福原、太宰府へと敗走」
ようやく本書の3分の1かな。
平家の武将が、負け軍を覚悟の上で、源氏との闘いに向かう前に、藤原俊成の邸へと。何とか俊成に会ってもらい、自分は死を覚悟しているし死を厭わない、ただ口惜しいのは生涯、歌に専心してきたのに、何一つ歌を遺さず死ぬことだ、是非とも次の歌集に一つでも載せてくれないか……
この武将の歌は、定家の編んだ歌集に、詠み人知らずとして実際に載っているが、ほんとに俊成に会って頼んだのか、史実は分からない。たまたま俊成の子である、定家の話題(「源氏物語「若紫」の定家写本発見」)が世情を賑わせたのでメモっておく。
何人かのバイク繋りの同僚に、一緒にツーリングへ行こうって何度となく誘われた。その都度、渋ってしまう。我輩、仲間でつるんでツーリングしたことがない。ローンライダーなのだ……って言いたいが、実はライディングに自信がない……なんて言えない。あくまでマイペース。まず、人とペースが合うことはない。
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