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2019/10/14

「虹の鳥」は「虻の島」と似ている

Hototogisu ← 庭の入り口付近に今年もこの花が。名前、直ぐに出てこない。ホトトギス?

 休みの日にしてはやや早い9時過ぎに外出。理髪店へ。三ヶ月ぶりかも。昔は毎月。この数年は、2ヶ月に一度。これからは、三ヶ月に一度か。
 銭湯も値上げ。仕方ないけど、ますます足が遠退く。自宅の風呂は、入るの時間がかかる。
 寒い。とうとう今日から、台所での洗い物は、瞬間湯沸し器を使う。6月からは、ずっと水。ガス代も2ヶ月間、基本料金だったんだが。

 古事記にしても、万葉集にしても、日本人には古来より自然への深い思い入れがあると感じさせる。神社にしても、鳥居の先に鎮座するのは、社より小高い森だったりする。だから、昔から日本人は、山や森、そして木々を大事にしてきた……と思いたい。が、歴史が示す実態は違う。寺社を作るために、都を作るために山の木々を伐採し尽くした。手頃な木々がなくなると、都を移す。山は禿げ山に。明治維新当時も、鎮守の森の木々をどれほど切り倒したか。森が回復したのは、人の力もあるが、雨など地の利の賜物ではなかったか。一貫して自然を大切にしてきただなんて、思いあがったり驕ったりしてはいけない。

Niji ← 目取真 俊【著】『虹の鳥 (新装版)』(影書房)「基地の島に連なる憎しみと暴力。それはいつか奴らに向かうだろう。その姿を目にできれば全てが変わるという幻の虹の鳥を求め、夜の森へ疾走する二人。鋭い鳥の声が今、オキナワの闇を引き裂く」。

 目取真 俊作の『虹の鳥 (新装版)』を読み始めた。初読みの著者。ようやく手にできた。
 ぶつける先のない怒りに満ちている。ノワール的作品の気味も。しかし読み進めるうちに、暴力が売りのエンタメとはまるで違うことを感じさせられている。少女への米兵による強姦事件を背景にしている。同様の事件は数知れず発生しているのだろう。日本の警察の手の及ばない歯がゆさ悔しさ。

……虹 と 虻……似ている。最初、題名を見て、「虻の島」かと思った。違う。「虹の島」でもない。「虹の鳥」である。題名が何をシンボライズするかは、読めば分かる。それにしても、何故、「虹」は虫偏なんだ?

 新聞かな、ある小学生の投書が紹介されていた。それは、ゴキブリを毛嫌いしないで。ゴキブリも昆虫の一種。コオロギなどと同じ。全くである。理屈はそうだ。何故に我々はゴキブリを忌み嫌うのか。不衛生だから? 台所でウロウロするから? ゴキブリにもいろんな種類があって、野外を好むタイプもいるとか。野外で見かけたら、スズムシと同様、風情ある昆虫と見做す? 恐らく、子供の頃からの刷り込みだろう。母などが、ひぇーとばかりに大急ぎで退治する。ゴキブリは女性の、台所の天敵だと教え込まれてきたのだ。吾輩もその一人だ。

Sinka_20191014205901 ← アンドレアス・ワグナー著『進化の謎を数学で解く』( 垂水雄二訳 文藝春秋)ダーウィンの自然淘汰。「どうして都合よく、新しい環境に適応した新しい種は生まれるのだろうか? 自然淘汰は、最適者を保存改良することはできる。だが、その最適者はどこからやってくるのか? ダーウィンがどうしても解けなかったのが、その「最適者の到来」の謎だった」。「今、5000次元の組み合わせを解くことのできる数学とコンピューターが、「最適者の到来」の道筋を解きあかしつつある」。

 昨日は夕方近くに仕事が終わった。お蔭で、アンドレアス・ワグナー著の『進化の謎を数学で解く』の残りを一気に読了することができた。ラグビーを観たかったのだが、前夜の寝不足もあって寝落ちしてしまった。

 上掲書について、前回、「 数学とコンピューターで進化の謎を解こうとしている。よく見る数式を駆使して……というものではなく、「5000次元の組み合わせを解くことのできる」ソフトを数理学者らの力を借りるという、ダーウィンどころかほんの一昔前には想像もつかなかった手法を駆使して。タンパク質も酵素も数百どころか数千も自然は生み出してきた。生物はその組み合わせを試してきた。が、当たって砕けろでは、遺伝子の変異の可能性が無数にある中で、生存につながる新しいたんぱく質の組み合わせに遭遇するはずもない。そこには何か単なる偶然以上の何かが作用しているはず」と書いた。本書はまさに、その偶然以上の何かを数学の力を以て説いている。

 著者は、ダーウィン適者生存という進化論に潜む謎…論理の穴を数学を駆使して、より深いところからの理解を与えてくれる。詳細など吾輩には説明できないが、実に読み応えのある本だった。改めて数学の力を思い知らされもした。ちなみに、数式の類は皆無である。一読を薦める。

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コメント

「日本列島においては縄文時代中期・後晩期段階での粗放的な縄文農耕が存在したと考えられており」、「宮本常一は野焼き・山焼き後の山菜採りから進化した農法ではないか、と考察している」。宮本常一『山に生きる人々』など参照。 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2019/01/post-b849.html

投稿: やいっち | 2019/10/15 10:33

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