« 吹き溜まりの庭 | トップページ | ロボットに心はあるか »

2019/09/25

ガラスの街

9784065166147_w ← 石浦章一著『王家の遺伝子 DNAが解き明かした世界史の謎』(ブルーバックス)「「勝者の歴史」が覆い隠した「王家の真実」を、最新生命科学が解明する」! 

 石浦章一著の『王家の遺伝子』を読了した。この手の本は大好物。そのつもりもないのに、一気に読み切ってしまった。メカニズムの説明に頭を使う場面もあったが、シェイクスピアやツタンカーメン、アメリカのジェファーソン大統領らの話題とあれば、頁を捲る手も焦れるというもの。

 今日は、風はあるが涼しくて、自転車を駆って町の書店へ。月に一度の本のまとめ買い。近所に物色を恃めるほどの書店がないし、折々出掛けるほどの近場でもないので、結果的にまとめ買いとなってしまう。書店の中は、エアコンは控えめ。ま、今の時期なら構わないけど、八月だって控えめだった。書店に滞留したのは二時間ほどか。十数冊購入し、数冊、発注。

 晴れの日、富山市の中心街で、電動車椅子で移動される方をしばしば見受ける。電車などを使って、あちこちへ。下半身が。何処へでも敢えて一人で出掛ける勇気。勝手に畏敬の念で見てしまう。普通に、当たり前の光景として受け止めるべきだろうか

 そんな呟きを昨日した。以下、こっそり、ここで続きを。
 吾輩にしても少なからずの勇気を以て外出する。外へ出る。ということは、顔を人目に晒すということだ。生まれ持っての顔の不具合(重度の口唇口蓋裂)。保育所時代まで何回、手術してもらったか。何か所の病院をたらいまわしされたことか。仄聞するところでは、日赤、中央、新潟、金沢…。十歳の頃、それまでの手術で生じた欠陥を治すため、京都大学病院へ。その欠陥は修復されたけど、今度は、鼻での呼吸ができなくなった。口呼吸だけの生活のいかに困難で肉体的負担を生じさせているものか……。愚かにも自分でもその脅威を理解していなかった。
 この鼻呼吸の不能化の話はまた別の機会に。
 なぜなら、それは傍目に分からない、ただ、日中ずっとボーッとしているふうに見えるだけ、ただのとんまに見えるだけだろうから。
 町中を電動車椅子で活動される方は、下半身を喪失されているようだ。下半身が一体、どの部分からかは分からない。いずれにしても、積極的に活動されていることに勝手に畏敬の念を抱いてしまう。
 自分の場合は、容貌だ。一歩、町を歩くと、すれ違う人は、奇異な目で吾輩を観る。慌てて目を背ける。でなければ、思わず手を自分の鼻の辺りにやって、自分の鼻がまとめだと安堵して通り過ぎていく。思わず、やってしまう行為。
 中には、わざとらしく、あてつけのように手を鼻の辺りにやって、吾輩の欠陥を思い知らせ、自分がいかにまともかをアピールする奴らもいる。たいてい、身なり(身だしなみ)を人一倍気をつける人に多い。
 町に出るということは、前記したように、顔を晒すこと。
 思い出すのは、初めて、近所ではなく、町へ出た日のこと。保育所時代か。母は吾輩を連れてデパートへ。ああ、デパート。大概の子どもなら、当時なら屋上の遊園地が楽しみだったし、あるいは店舗内を見て回るのも子供心に楽しんだりするのだろう。
 が、吾輩にとっては、デパートとは、まさに町中の縮図のようなものだった。無数の人々が行き交う雑踏。何より、自分にとってデパートとは、明るさであり、乱舞する無数の鏡とガラスの煌めきと切っ先であり、逃げ隠れる余地の皆無な純白の地獄だった。
 鏡やガラスは吾輩の顔を嫌でも映し出す。お前の顔はこうだと思い知らせる。逃げ場はない。母に連れられて歩き回るしかない。市中引き回しの悪党のようだ。石のつぶては飛んでこないが、人の突き刺さる視線と、鏡やガラスの面に際限なく映る引き裂かれた顔、顔、顔だ。
 吾輩は、母が買い物や母の田舎の町への外出の際、自分を連れていくと聞いて、内心、ホントにボクを連れてくの。本気なの、分かってるのと問いかけていた。無論、シャイな自分は心の中で問いかけるだけだった。

 ただ、吾輩は母に(どういう気持ちで外へ連れ出したかをいぶかしんだにしろ)感謝している。心にどれほどの血の涙、屈辱の涙を流そうと、他人にはまるで関係ないことであり、必要があれば、吾輩だって外出する。そう、敢えて外出することが出来るんだ。

 父とは学生時代までは、一度たりとも一緒に外出することはなかった。

 ホントにつまらないことで悩んでいる。悩んできた。他人からしたらクソにもならないこと。今でも町中へ出るとなると、臆病で内気な自分には、自分を駆り立てる決心めいたものが要る。町には、鏡やガラスの粉塵が黄砂のように待っている。人の視線という匕首が無数に突き刺さってくる。心身ともに、血だらけになって帰ってくる。帰り着いたころには、血みどろなのだ。へとへとになる。(そこに十歳からの口呼吸だけの日々が圧し掛かるわけだが、これはまた別の機会に。)

 なんて大げさな。そう、大袈裟だってことは認める。他人にはどうでもいいことだってことは分かり過ぎるほど分かる。だから、一度だって、親にも兄妹にも友達にも心中を訴えかけたことはない。嗤われるのが落ちなのだ。どうだっていいことなのだ。自分が一人でくよくよすればいい。顔は飄々と、あるいは頓馬な風を装って、平気でいればいいんだ。

|

« 吹き溜まりの庭 | トップページ | ロボットに心はあるか »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

恋愛・心と体」カテゴリの記事

読書メーター」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 吹き溜まりの庭 | トップページ | ロボットに心はあるか »