水つながりの夢二つ
← プラスティネーションされた標本(パリの国立自然史博物館制作)(画像は、「ダイオウイカ - Wikipedia」より)
今朝、ダイオウイカを巡る夢で目覚めた。ある女性がダイオウイカの秘密について語っている。ダイオウイカの謎の生息地を彼女は知っている。取材も受けたが、生息地は何処かは口をつぐんだとか。そう語る背景には、数匹のダイオウイカたちがゆうゆうと泳いでいる。吾輩は海中にいるらしい。
お昼頃だったか、居眠りから目覚めた。夢の最中。友人宅で、なぜか服を洗濯することに。衣料品を全部、洗濯機に突っ込んだところで、なぜか自分までが洗濯機の中に。這い出ようとするができない。水が溢れそう。溺れそう。水を書きだそうとするが、溜まる一方。出たい。裸だけど仕方ない……。
ということで、海中と洗濯機の違いはあるけど、水つながりの夢だった。
今夕、庭仕事に出る前、『新版 平家物語(一) 全訳注』(杉本 圭三郎 (翻訳) 講談社学術文庫)を読了した。「平家物語」には読み物系と語り物系の流れがあるらしい。いずれにしろ、やはり、伝統に掉さす作品がいい。盲目の琵琶法師によって琵琶を弾きながら語られた「平曲」風が、聞き手に分かることを配慮しているようで、分かりやすい気がする。
長い作品。全四巻の一巻目を読んだだけ。今日から第二巻へ。
快晴微風、湿気なし。爽やか。久々のバイク日和。が、庭の惨状を観ると、そうもいかない。午後4時半から7時まで庭仕事。今日は、草むしりじゃなく、庭木の剪定。表の車道沿いをメインに、と思っていたが、松の木が酷いことに。枝葉が延び放題。髪ボサボサの浪人。近所の庭木を観ると綺麗。いかにも庭木職人の丹精な仕事ぶりが見受けられる。我が家はというと、少なくとも10年は頼んだことがない。自分で?
父母が健在だった頃は、自分でやったり、出来なくなってからは、近所の知り合いに頼んでいた。見るからにずぶの素人。近所付合いの義理で頼んでいたのか。いずれにしろ、我輩にはプロに頼む余裕はない。見るに見かねるようになって、今日のようにやるわけである。
松の木の剪定など、我輩に出来るわけがない。所謂、虎刈りである。親の仇かのように、高枝挟みで枝葉を遮二無二切り落としていく。足元にはいつしか枝葉が山になっている。
だが、作業を終えて庭を見渡してみて感じるのは、失望感、落胆の念。何故か。他人の目線で観たら、ひどいなー、これから大変だなー、と思うだろうと。シャカリキにやったにも関わらず、まだ剪定前のように見える。ところで、松の木の剪定については意見というほどではないが、近年見かけるような、端正な刈り込みの仕方は嫌い。床屋さんの店頭に貼られたモデルのようで、面白味が感じられない。かといって、自分に人に誇れる美意識があるじゃなし、今のところ、我武者羅流しかできないのが歯痒い。
我が家の松は、今はもう画像で紹介できない。内庭の松は、父の自慢の松だったけど、天辺の数メートルをカットした(首のない松)。もう一つは、今日剪定(?)した松。ボサボサがバサバサに。どう刈り込んでいいか、分からないので、大胆にカットできない。
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