脱皮という産みの苦しみ
ある施設のトイレに入った。いや、入ろうとした。入り口に若い女性が立っている。女子トイレと間違えたか。あるいは、その筋の女なのか。間違いない、男子トイレだ。女は背を向けている。「ちゃんとやった」と中の誰かに。それから、我輩に気付いたのか、「失礼」と、ひと言。入ってみるまでもなく、男の子が駆け出てきた。
トルストイ 作の『少年時代』を「幼年時代」に続いて読み始めた一昨日のこと、読み出したら止まらない。さすがに翌日は、仕事なので、あと50頁を残して灯りを落とした。まだ、眠くはなかったんだが。今夜半過ぎ、帰宅したら残りを読む。まだ、20代半ばのトルストイだよ。
今日、未明に帰宅。さすがに徹夜仕事では読む気になれず、朝遅めの時間になってやっと手にすることができた。
← トルストイ 著『少年時代』(藤沼 貴 訳 岩波文庫)内容案内によると、「思いがけずかいま見た大人の世界,ふと意識する異性,見慣れたはずの光景がある日突然新たな意味をもって迫ってくる…….誰にも覚えのあるあの少年の日のみずみずしい体験を鮮やかに写しだしたトルストイの自伝小説」
上掲の内容案内によると、トルストイの自伝小説とある。自伝風であるのは、『幼年時代』と同じだが、やはり自伝とは言えない。創作と見做すしかない。無論、だからといって本書の価値が下がるわけもない。『幼年時代』ほどではないが、大人への一歩を踏み出す少年の葛藤が描かれていて読ませる。
そもそも、どちらもトルストイが二十歳代の半ば頃に書いたもの。いくら処女作とはいえ、若いトルストイが何故、幼年や少年時代を自伝風に描こうとしたのか。吾輩は、恐らく両書共に老年になっての回顧的な作品だろうと、たかを括っていた。とんでもない誤解だった。
これらは、トルストイの作家としての生みの苦しみのドキュメントでもあるのだ。描きたい過去なり思い出なり体験がある。それは彼自身の宝であり、忘れ得ぬ体験として心に切迫してくる。作家ならずともその焦慮を形に成したいと思う。
が、さて、実際に描き始めると、作品というものは、それも、登場人物たちは猶更のこと、彼ら自らの命を持ち始める。意志や自己主張すら始める。もはや、登場人物はそして物語は生き物として別の生をすら生き始めるんだ。そこにこそ、創作する秘密とある種の作家ならではの悦楽の営みという秘密を知ってしまうのだ。もはや、自伝風という制約、あるいはそこにあるかのような過去をそのままに描きえるなどといった幻想など、脱皮する殻のように捨て去らなければならない。新たなトルストイという作家が生まれるのだ。
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