朋あり遠方より来る
← 砂利道を防草シートの道へ(放棄で落ち葉を掃けるように)作戦、ほぼ終了。あとは、様子を見て微調整する。玄関先の玉砂利は、今日、4袋追加したけど、まだ足りない。そのうちに追加する。さらに、表の生け垣の剪定や、内庭の草むしりなど。真っ昼間、二時間の作業。蒸し暑くて、へとへとに。シャワーのあと、水、牛乳、コーラ、お茶。エアコンと扇風機。作業終了後、一時間半経ってようやく人心地ついた。ところで、一昨日、収穫した小玉のスイカ。この原稿をアップしたら、いよいよ試食。さて。
富山の環水公園傍に、トラットリアを冠したレストランがある。このトラットリアが気になるので、調べてみた。
「ristorante」(リストランテ)は、高級なグレードのお店。「trattoria」(トラットリア)は、「大衆向け」レストラン。「osteria」(オステリア)は、日本でいう高級な「居酒屋」というイメージ。日本では、あまり厳密に使い分けていないとか。
← ミシェル・ウエルベック 著『ショーペンハウアーとともに』(アガト・ノヴァック=ルシュヴァリエ 序文 澤田直 訳 国書刊行会) 「本書『ショーペンハウアーとともに』は単なる注釈書ではない。一つの出会いの物語でもある。二十五から二十七歳のころ――つまり、一九八〇年代半ば――ミシェル・ウエルベックは、パリの市立図書館でほとんど偶然に『幸福について』を借りた。「当時、私はすでにボードレール、ドストエフスキー、ロートレアモン、ヴェルレーヌ、ほとんどすべてのロマン主義作家を読み終わっていたし、多くのSFも知っていた。聖書、パスカルの『パンセ』、クリフォード・D・シマックの『都市』、トーマス・マンの『魔の山』などは、もっと前に読んでいた。私は詩作に励んでもいた。すでに一度目の読書ではなく、再読の時期にいる気がしていた。少なくとも、文学発見の第一サイクルは終えたつもりでいたのだ。ところが、一瞬にしてすべてが崩れ去った」。衝撃は決定的だった。若者は、熱に浮かされたようにパリ中を駆け巡り、『意志と表象としての世界』を見つけ出す。それは、彼にとって「世界で最も重要な書物」となった。そして、この新たな読書はさらにすべてを「変えた」。」
僭越な言い方をすると、ようやく同志を見つけた気持ち。朋在り遠方より来る、の感を強く感じている。
ショーペンハウエルとの出会いは、高校2年で、ウエルベックと同じく、「幸福について」や「読書について(自殺について)」などのエッセイ。性向に親近感を抱き、主著に挑戦。当時は、デカルト、ラッセル、ヴィトゲンシュタイン、フレーゲ、パスカル、ベルクソン、三木清、親鸞、西田幾多郎、フロンテ姉妹などに触れ出した頃。まだ、ドストエフスキーには出会っていなかった。ただただ、主著に圧倒された。以後、25歳頃までに主著をそれぞれ違う訳者で通算4回読んだ。全集も揃えた。続篇を読むために。
ウエルベックがショーペンハウエルをどのように受け止めたのか、それは読んで確かめるとして、我輩は、欧米の弱肉強食の社会、方向性などない、ひたすらな生の盲目的進化(論)、野蛮なほどの生の生きんとする力を感じた。ショーペンハウエルの哲学(表現)は、同時に読み出したニーチェより遥かに凄まじい。狂暴ですらある。若き我輩を覚醒する力があった。ショーペンハウエルは、勉強家で貪欲に読書(勉強)した。ただ、自らの哲学を傍証する科学的成果を探していたようで、やや苦笑。ショーペンハウエルは、二十代で洞察し表現し尽くして、あとの人生は厭世家としての長い余生となった。
尤も、吾輩からすると、愛犬という伴侶がいたことは恵まれていると思われたりする。
ミシェル・ウエルベック 著の『ショーペンハウアーとともに』を読了した。主に車中で。一日で読み終えるのが勿体なくて、20頁ほどを残して帰宅。翌未明に読了。こうした本を読めるとは全く想像の他。しかも書き手はかのウエルベックなのだ。実に嬉しい。我が意を得たりである。ショーペンハウアーからコントへってのがまるで分からなかったが、ま、気にならない程度の瑕疵のレベル。
本書は中途で終わっているらしいが、あるいは、意欲が高まって創作へ向かってしまったのではなかろうか。
ウエルベックの「ショーペンハウアーとともに」に刺激された。久しぶりに主著を読む。書庫には、中央公論社の世界の名著(西尾氏訳)とショーペンハウアー全集がある。読むのは、全集版にて。選択の基準は、訳の善し悪しや好みじゃなく、活字の大きさで! 昔は、中公の上下2段組でも、裸眼で当たり前に読んでた(遠い眼……)。 他に昔読んだ斎藤忍随さんらの本は行方知れず。悲しいね。
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