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2019/07/07

登山への想い

122002_xl_20190707203801 ← 深田久弥/著『日本百名山』(新潮文庫)「者は、長い年月をかけて、北は北海道の利尻岳から南は屋久島の宮ノ浦岳にいたるまで、これらすべての山頂を極めつくして、本書を綴った。日本人の生活に深く結ばれ、私たちの精神的風土の形成に大きな影響を与えてきた山々の個性を、短い文章のうちに、見事に際立たせた名著」

 今日も外仕事は控えた。先日の庭仕事で完全防備しての作業だったのに、ブヨかダニに喰われ、数日経った今もかぶれたようになっている。その代わり、町内会の雑用。それは交通安全協会の協力金の集金。集めに回って、断る人の多いことに驚いた。みんな協力するものだと思っていたが、反発する人も案外と多いようだ。

 さて、上掲書を本日午前、読了。ほとんどを車中で読み、残りの50頁ほどを自宅で。父の蔵書だと思われる。書庫にて発見。父はサラリーマン時代、山登りに熱心だったようで、寝室の押し入れに登山靴が今も残っている。父が山登りなら、吾輩はオートバイでのツーリング。30年のライダー生活を2006年に一旦引退したが、一昨年再開。吾輩は、山というと、学生時代、友人らと立山へ上り、頂上付近で雷鳥に遭遇したことと、富士山登頂の体験があるばかり。本格的な登山の厳しさなど知る由もない。

 そもそも、今でこそ立山連峰への思い入れを折々語ったりするが、自分が子供の頃、それほど立山連峰への思い入れがあった記憶はない。それより、特に学生時代からだが、まさに逆に神通川の右岸土手に立ち、対岸に見える呉羽山の山並みを眺めるのが好きだった。夕日の沈む光景を楽しんだものだ。この楽しみは社会人になっても続いた。自宅から十数分歩いて土手へ。それにしても、父はどのような気持ちで登山に凝ったのだろう。生前、この話を聞かなかったことが悔やまれる。

御来迎…ブロッケン
富士登山の思い出

617vd9iipl2 ← 山口 誓子 (著) 『俳句の心』 (毎日新聞社 (1975)日本の心シリーズ)

 読んでいたら、「ジャガタラ」なんて言葉に遭遇。なんだか懐かしい言葉の響き。本書では、長崎県の平戸には、ジャガタラ文が残っている。ジャガタラとは、ジャカルタのカルタが転訛したものだと。平戸にオランダ商館のあった時代に渡来したオランダ人が日本の女性と結婚し、混血児をもうけたが、キリスト教徒弾圧の結果、混血の女性はジャガタラへ流された。
 そういう女性が日本の親しい人へ送った手紙がジャガタラ文だとか。が、我輩の脳裡を掠めたのは、まるで違う。ジャガタラ和尚という名前。そうだ、NHKテレビで、「チロリン村とクルミの木」なる人形劇が放映された……テレビで初めて観た人形劇。ヒョッコリヒョウタンじ~ま~♪と相前後する時期の芝居。その中に、ジャガタラ和尚さんが登場していたような。番組のテーマソングは大物歌手だったし、声優陣も当時のフルキャストだった……ような。

チロリン村とくるみの木 - Wikipedia」によると、「1956年4月14日から1964年4月3日までNHKテレビ → NHK総合テレビで放送されていた人形劇」だとか。
 主題歌:「チロリン村とくるみの木」(作詞:恒松恭助、作曲:宇野誠一郎、歌:ペギー葉山)
 黒柳徹子(ピーナッツのピー子)らが音声出演し、左卜全(ジャガタラ和尚)だった。
連続人形劇 チロリン村とくるみの木 NHK名作選(動画他)

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