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2019/06/20

イニシエーションの旅それとも夢

1561023114208240  ← 我が家の紫陽花、相変わらず、咲いているのは僅か。どうした? これで打ち止めか? 先週の画像を使い回ししてるんじゃない。もしかして、釈迦力になって生け垣を剪定しまくった際、勢い余って、まずいところまで伐ったのか。さて、5時頃から庭仕事。草むしりなど体に負担のある作業はダメっていうので、高枝鋏で草を刈り出した。当然、立って。雲古座りは流石にあかんだろうし。ところが、そこは我輩、始めたらむきになってしまって、車道沿いの生け垣の剪定を遣り出した。始めたらカルビーじゃないけど止まらない。だって生け垣の枝葉が車道に迫り出し、母屋の庇に絡み付いている。気になった以上は得心の行くまで。サンダル履きで、部屋着のまま。ただ、手袋をはめたのは、人間として成長が認められるか。気が付くと一時間半。手術上がりとしてはやばいか。ま、明日は会社、休むので、安静にしてるつもり。

 桜桃忌だったとか。学生時代に読み浸った。嵌まると抜けられなくなる。社会人になって友人の誘いもあって(友人宅が吉祥寺にあった)、善福寺やら井の頭公園、三鷹、そう玉川上水などを幾度となく歩いた。やはり著書全て何度となく読み浸った埴谷雄高の吉祥寺駅から程近い自宅の前にも。勇気がなくて、玄関の戸を開けられなかった。

 未明の夢:高い黄緑色のフェンスに囲まれた広い空間。薄暗いのか照明が灯っている。テニスコートのような。違う、ソフトボールならできそうなもっと広いコート。そこはフェンスの半分ほどの高さのネットで2面に仕切られている。私と(自分が心を寄せている、が届かないままの)女性と、更に誰かもう一人は、手前側にいる。彼(彼女)は、私と女性とが今一つ馴染めないで居ることに歯痒くなって、ボールを向こう側に投げ、女性も彼(彼女)との暗黙の了解で向こう側へ。
 私も渋々……のようでいて、あるいは嬉しさを圧し殺して(そう、思いを寄せているのは女性のほうらしいのだ……私もとっくに気付いている)向こう側のだだっ広いコートへ向かう。が、私は気が重い。閉じた心は容易には開かない……むしろ二人っきりになり余儀なく近付けば、一層自分の心はネジくれてしまうだろうと分かっているのだ。
 いや、分かっているのは別のこと。私の中の怯え。凝り固まって萎縮した心。心を解きほぐすとは、瘡蓋を無理やり剥がされること。それでも、私は(きっと貴女も)諦めはしない。

212911_xl_20190620204601 ← チャールズ・ブコウスキー/著『町でいちばんの美女』(青野聰/訳  新潮社) 「酔っぱらうのが私の仕事だった。救いのない日々、私は悲しみの中に溺れながら性愛に耽っていた。倦怠や愚劣さから免れるために。私にとっての生とは、なにものも求めないことなのだ。卑猥で好色で下品な売女どもと酒を飲んでファックする、カリフォルニア1の狂人作家……それが私である。バーで、路地で、競馬場で絡まる淫靡な視線と刹那的な愛。伝説となったカルト作家の名短編集」

 昨日19日、本書チャールズ・ブコウスキー作の『町でいちばんの美女』を読了した。読書メーターの読み友さんらの評価が高い。題名の「町でいちばんの美女」ってのにも、表紙の画像にも惹かれてゲット。書店からの注文では手に入らず、ネットで古本を探した。
 なんとも殺伐とした作風。世間的常識には一切遠慮も顧慮もしない、ひたすらその場の感覚や衝動に身を任せる、作家のブコウスキーを想わせる主人公。己の中の何かに忠実に生きている、そんなハードボイルドな生き方とは違う。酒と女、セックス、意図せぬ喧嘩や衝突。衝動に身を任せたら、己の身をあるいは心を傷つけるのは目に見えているが、それでもそんな流されていくばかりの主人公。どんな生き方なんだという、問いかけそのものが杓子定規で意味をなさない。独特の乾いた詩情が漂う。いや、アンドリュー ワイエスよりはるかに殺伐とした、時に下卑た詩情なのだが。

 18日に手術した。昨日、退院。その際、念を押されたのは、食べ物のこと(消化のいいもの、酒や炭酸飲料などはダメ云々)と無理な運動は控えるように。我輩の顔を見てか、激しいセックスはダメとは言わなかった(言う必要を認めなかったのだろう……クソ!)。病院へは、自転車で。半ば日帰りの積もりだったから(と言いつつ、ポリープの切除は覚悟していたが)。帰りは自転車はダメだって。置いていって、後日、取りに来るか、押して帰りなさいだって。押して帰りましたよ………途中まで。病院の近辺は緩やかな登り降りがある。

 気の小さい我輩は、医者や看護師さんの指事は忠実に守る。破るなんて考えられない。が、自転車を押しながら愚考した。まてよ。例えば数キロの道のりを、自転車を押して歩くのと、自転車に乗って移動するのとでは、どちらが労力つまり体への負担が軽いのか。考えるまでもなく、答えは明らかではないか! 坂道や段差などは別儀なのは言うまでもないとして。

 これは、悪魔の誘惑なのだろうか。実際、病院から10分ほど離れると、そこには平坦な道があるばかり。(振り返っても、病院は見えないし) ということで、安易に流れようとする誘惑には勝てず、自転車に颯爽と跨がって帰宅の途を急いだのだった。大腸の中のポリープを取ることが、そんな大ごととは思いも寄らなかった。自転車はもとより、庭や畑仕事もダメだって。2週間は、せいぜい水遣り程度にしてください……。

 そんなぁ。生活が困窮していて、仕事を休むわけにいかない。力仕事じゃないけど、全くのデスクワークでもない。とりあえず、数日は休むけど、それが限界。先行きが見えんぞ! 老後何十年どころか、明日が見えん! てことで、とりあえず読書します。

41ri10ioqwl ← 村上光彦 著『イニシエーションの旅 マルセル・ブリヨンの幻想小説』(未知谷 刊)「マルセル・ブリヨンの幻想小説のエッセンスを豊富な引用と共に詳細に紹介。人の意識の辺境に潜む幻想世界へ辿りつく

 ブリヨンというと、「抽象芸術」や「幻想芸術」などを読んできた。絵画への関心が高まって、展覧会巡りに熱心だったころ、ブリヨンのこれらの本は、奥の院のような本だった。そう、当時は、美術の学者という認識しかなかった。だから、肝心の幻想小説は読んでいない。本書はブリヨンの本来の世界への道案内になるかな。

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