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2019/06/25

幻想とはネオテニーの極

1561434693392166  ← 夾竹桃が花盛り。白い花が繁茂する緑と青空を背に映える。勢いがいいのは嬉しいが、花がどんどん散って、車道や側溝を汚す。我が家の庭に零れるという配慮は……期待するのが論外だね。

 快晴。外出日和、ドライブ日和だったが、庭仕事。入院し手術するという思いがけない出来事もあって、雨も降ったし、かなりサボり気味。その間に庭が見るも無残に。(畑のほうは、ナスもキュウリもトマトもダメ。スイカやカボチャに期待。)夕方五時過ぎから七時過ぎまでせっせと庭木の剪定。まるで追い付かない。

9784065135211_w ← 『日本列島の下では何が起きているのか 列島誕生から地震・火山噴火のメカニズムまで』(ブルーバックス) 「地震学界のトップランナーが、現代地球科学の基礎となるプレートテクトニクス、日本列島の成り立ち、地球内部の水が関わる沈み込み帯の地震・火山活動のメカニズムを徹底的に解説する」 

 小説(今は中上健次作品)と理系の本を並行して読むという方針(というか嗜好)で、本書を今日から。地震の巣である日本の地理的宿命にある限り、こうした本は欠かさず読んでいく。

 中上健次のほうは来月に跨りそうだが、村上光彦 著の『イニシエーションの旅 マルセル・ブリヨンの幻想小説』は読了した。
『抽象芸術』や『幻想芸術』などは読んだことがあるが、情けなくもブリヨンの本領とでもいうべき幻想小説作家としての面を知らずに来た。本書は、古本の青空市でたまたま見出した本。本書に遭遇しないと、ずっと学者評論家としての印象のままに終わっていたはず。
 村上氏の道案内はさすがに的確で安心して導かれていく。流れに身を任せたらメビウスの輪に沿っていつしか異次元の幻想世界にいる自分に気が付く。村上光彦という名前に聞き覚えがあるなと思ったら、案の定で同氏の翻訳で何冊か読んでいた。

41ri10ioqwl_20190625202101 ← 村上光彦 著『イニシエーションの旅 マルセル・ブリヨンの幻想小説』(未知谷 刊)「マルセル・ブリヨンの幻想小説のエッセンスを豊富な引用と共に詳細に紹介。人の意識の辺境に潜む幻想世界へ辿りつく」「村上光彦 著『イニシエーションの旅 マルセル・ブリヨンの幻想小説』(未知谷 刊/ISBN978-4-89642-324-2)の内容詳細」参照。

 さて、幻想とは何だろう。常識的には、現実にないことをあるかのように思い描くこと、だろうか。では白昼夢や妄想や(思い描かれる)夢、空想などとどう違うのだろう。特に作家が幻想を口にする際には、どうあっても少なくとも登場人物はリアルに生きていると、読み手には想わせないとならない。

 では、想像とどこが違う? そもそも小説とは虚構でありフィクションである。幻想小説とはその中のいちジャンルに過ぎないのか。童話やファンタジーとはどう違う? 幻想小説の作家も多岐に渡る。その中でブリヨンの特色は何処にあるか。吾輩は、幻想文学とは、文学におけるネオテニーだと考える。

 ネオテニーとは、動物学や進化論の用語で、「動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象のこと。幼形成熟、幼態成熟ともいう]とか(「ネオテニー - Wikipedia」より)。つまり、ネオテニーの典型である人間において、幼児の夢や妄想や空想癖が大人になっても抜けきらず、その中に浸り続けていること、それを虚構の中で実現し続けることだと考える。だから決して後ろ向きだと思わない。まさにネオテニーの究極である人間のまさに特権なのだと理解している。

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